Chapter 429 記憶の消化・燃焼

適切な「想い」の重さは、記憶の消化・燃焼ができる程度の質と量に因ると申しました。
記憶の質と量は、近い過去ほど濃密で多く、遠い過去ほど希薄で少なくできている点に注目しなければなりません。
わたしたちの記憶は、生まれた直後のものもあった筈でしょうが、肉体と意識が個別化された五感と「想い」つまり自我意識が目覚めることによってより明確に記憶が蓄積されるようになります。
その自我意識の目覚めが、大体3才から5才ぐらいの間に起こり、記憶の始まりも、自我意識の目覚めた時から起こります。
しかし、母親の胎内で受精され、無の世界から有の世界へ出現した個人としてのビッグバンが起こった時が本来の自己の誕生です。
従って、自己そのものの誕生と、自我意識の誕生との間に時間的ずれがあり、「想い」の核(コアー)の部分は自己の誕生と共に生まれるのですが、「想い」の周辺の部分は自我意識の誕生と共に生まれ、それが3才から5才の頃であるわけです。
受精から3才乃至5才までの間の記憶は自己としての記憶としては極めて希薄なものだったと言えるのではないでしょうか。
自我意識の目覚めによって、それ以前の記憶が消化・燃焼したとも言える。
自我意識に目覚めた時から、記憶の本格的蓄積がはじまるわけですが、現在の残量は極めて少なく、濃密な記憶だけが消化・燃焼されずに残っているのです。
拙著「さようなら!」で主人公の健吾が幼稚園に入園して「結んで、開いて、手を打って、結んで・・・」と泣きながら唄わされたのが、わたくしの場合の一番古い記憶であります。
それ以前の記憶はあったのでしょうが、消化・燃焼してしまったわけです。
そしてそれ以後の記憶は、濃密なものだけが残っていて、量的には、3年から5年ぐらい前からの記憶が階乗的に多くなっている。
つまり近い過去ほど質的にも量的にも圧倒的に多いのです。
従って、消化・燃焼すべき記憶も、近い過去のものほど圧倒的に多いのですから、特に今日一日の記憶の質と量が一番多いことになります。
そうしますと、今日一日の間に蓄積された記憶を消化・燃焼していけば、3年から5年の間に、殆どの記憶が消化・燃焼されることになります。
一日一日が如何に大事であるかの証だと言えるでしょう。
そして、一日の中での重要な時期が、朝目が醒めた瞬間(とき)、夜眠りに就く瞬間(とき)の、一日におけるギアーチェンジにあるわけです。
朝目が醒めた瞬間(とき)が、一日の記憶の蓄積の始まりであり、夜眠りに就く瞬間(とき)が、一日の記憶の終わりですから、朝目が醒めた瞬間(とき)に、今日一日の記憶の蓄積に対し、消化・燃焼できる準備をすること、夜眠りに就く瞬間(とき)に、今日一日蓄積された記憶が消化・燃焼されずに残ったものを消去する作業をすることが非常に大切になってくるわけです。
究極的には、その都度、つまり『今、ここ』を生きることによって、記憶を消化・燃焼させることが理想なのですが、生身あるわたしたちにとって極めて困難な作業であるゆえに、朝目が醒めた瞬間(とき)、夜眠りに就く瞬間(とき)が、運動の光と音(喧騒)の世界にいる中での最適な時期だと言えるのです。
人生の埃を消化・燃焼するのも、やはり一日一日の積み重ねでしか出来得ないのであります。