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Chapter 431 悟りとは究極の継続 継続性を発揮するということは、「激しい運動」から「普段の運動」への脱却であると言えるでしょう。 従って、継続性のある活動を日々の中でどれだけ行っているかによって、「激しい運動」と「普段の運動」の比率が自ずから決まってしまうのです。 そうしますと、当然のことながら、眠りを要求する時間も変化していきます。 睡眠のパターンは習慣性を持っています。 夜中に目が醒める癖をつけると、それが習慣になってしまう。 夜中に目が醒めてトイレに行く癖をつけると、それが習慣になってしまう。 つまり眠っている間でも、継続性が発揮されているのです。 それは「普段の運動」の特性だと考えたらいいでしょう。 逆に言えば、「激しい運動」は継続性のない活動と言えるわけです。 継続性のある活動をすればすれほど、習慣化されて行く、つまり「激しい運動」から「普段の運動」へ変化して行くのです。 朝目が醒める瞬間(とき)から、夜眠りに就く瞬間(とき)までの間つまり目が醒めている間で、どれだけ継続性のある活動をしているかを検証してみる必要があります。 そうしますと、夜眠りに就く瞬間(とき)から、朝目が醒める瞬間(とき)までの間つまり眠っている間で、どれだけ継続性のある活動をしているかが自ずから決まってくるのです。 眠っている間の継続性とは、何かと申ししますと、眠っていないということに外なりません。 継続するということは、肉体が個別化された五感、意識が個別化された「想い」が醒めていることを意味しているのです。 少し考えてみれば、当たり前のことだと気づくのですが、継続するということは意識する即ち覚めていない限り出来ないことなのです。 「覚める」ということは、「意識する」ことであり、「意識する」ということは、五感及び「想い」が醒めていることを意味しています。 そうしますと、生きているということは、覚めていることに外ならないことがわかってきます。 覚めていないということは、生きていないということに外ならない。 覚めていないということは、五感及び「想い」が醒めていない、つまり眠っているのですから、寝ても起きても眠った人生を送っていることになるわけです。 継続性のある活動をまったくしていない人は、眠った人生を生きている、生きた屍同然と言えるでしょう。 “それなら、自分は多くの継続性のある活動をしている自信がある。たとえば会社に仕事をしに行くために、毎朝規則正しく起きている・・・” そう主張される方がたくさんいらっしゃるでしょう。 継続性のある活動とは、「普段の運動」そのものであり、「普段の運動」とは、宇宙の真理・法則に基づくものであって、人間社会のルールに基づくものではないということです。 逆に言えば、継続性のない活動とは、「激しい運動」そのものであり、「激しい運動」とは、人間社会のルールだけに沿ったもので、宇宙の真理・法則に沿ったものではないということです。 年中無休で働いている内臓器官が人間社会のルールだけに従い、宇宙のルールに従っていなかったら、1秒たりとも機能できないのです。 従って、一日24時間の中で、どれだけ継続性のある活動をしているかどうかが、睡眠時間を決定すると言っても過言ではありません。 一日24時間をすべて継続性のある活動をすれば、晴れて睡眠のない人生を送ることができるのではないでしょうか。 一日24時間をすべて継続性のある活動をするということは、一日24時間を意識して生きている、つまり覚めて生きていることになるわけです。 英語では、「四六時中」のことを、“24hours a day 7days a week(一日24時間、一週間7日)”と言います。 一日24時間一年365日つまり一生を意識して覚めて生きていることこそ悟りの人生だと言えるのであり、それは一重に継続性のある活動に掛かっているのです。 |