Chapter 434 心

「想い」と「心」の関係について論じてみましょう。
「想い」は動くものにはすべて具わっています。
「想い」は個別化された意識のことを言います。
心理学では、顕在意識、潜在意識、無意識の三種類があると区分けされ、顕在意識のことをConsciousness、潜在意識のことをSub-consciousness、無意識のことをUnconsciousnessと言います。
心理学はPsychologyと言いまして、直観(感)・霊魂・精神(Psycho)の論理・学問(Logic)ということで、いわゆるフロイドやユングが切り開いた学問であります。
つまり「心」という正体は、顕在意識、潜在意識、無意識の三つの層に分けられるというわけです。
「夢の中の眠り」(Vol. I)Chapter200(心との別離)以来、「心」などと言ったものは無いと申してきました。
「心(想い)」というものは、運動の光と音(喧騒)の世界だけに存在するものであり、動く即ち「想い」であり、「想」という字が示す通り、相手あっての心であるわけです。
相手があるということは動く本質そのものであります。
相手がいなければ、自分しかいないわけですから、自分だけしかいない世界でどうして動くつまり移動することなど有り得ましょうか。
自他の区分けがあってはじめて動くことができる。
静止の暗闇と沈黙の絶対宇宙では唯一の力しかなかったのが、運動の光と音(喧騒)の全体宇宙になって四つの力に枝分かれした、つまり相手が誕生した結果、運動するようになった、その移動期間が、ビッグバンから10の44乗分の1秒後であり、その時重力が枝分かれしたのであります。
逆に言えば、動くようになって自他の区分けが始まったとも言えるでしょうし、目で見る、耳で聞く、鼻で匂う、舌で味わう、肌で触る、いわゆる五感が誕生したのであり、更に五感以外の方法で相手を感じる方法が「想い」である、つまり第六感(第五感以上のものという意味)であると言えるでしょう。
そこに「心」というものの正体があるようです。
つまり相手あっての心であるから、「想い」とした方が意識との違いを明確にできると考えたからであります。
心理学では、意識を顕在意識、潜在意識、無意識の三つに区分けしていると申しました。
無意識は全体意識・集合意識と考えたらいいでしょう。
そしてこの三つの意識を総称して「心(Psycho)」と言っているのでしょうが、意識は運動の光と音(喧騒)の宇宙にも、静止の暗闇と沈黙の宇宙にもあるものです。
そうでないと、何処から運動の光と音(喧騒)の宇宙が誕生したのでしょうか。
宇宙の果ては一体何か?
天地創造した神を創造した物は一体誰か?
つまり鼬ごっこに陥ります。
鼬ごっこの正体は円回帰運動つまり運動にあります。
水平的拡がりの世界では、果てはあるつまり有限ですが、垂直的拡がりの世界では、果ては無い、つまり無限であることが、宇宙すべての法則であり、その正体が円回帰運動に外ならないのです。
意識とは全体つまり無限(静止の暗闇と沈黙の絶対宇宙)に与えられたものであり、心理学で言うところの無意識であり、「想い」とは部分つまり有限(水平的拡がりの中で無限運動をする運動の光と音(喧騒)の全体宇宙)に与えられたものであり、心理学でいうところの潜在意識であり、五感とは部分の部分つまり有限の有限(水平的拡がりの中での有限運動をする自己の世界)に与えられたものであり、心理学でいうところの顕在意識であるわけです。
そうしますと、心理学でいうところの三つの意識即ち顕在意識、潜在意識、無意識は同じ次元上では語ることができない性格のものであることがわかってきます。
「心」ではなく、「想い」で論じてきた所以であります。