Chapter 442 美しい社会

美しいものに、わたしたちは魅かれます。
美しいものには魅力(Magnetism)があるからです。
外見上の魅力と共に内面的な魅力もあって、外見上の魅力をAttractivenessと言うのに対して、内面的な魅力をMagnetismと言います。
共に惹く力を言うのですが、Magnetismはカリスマ的な要素を含んでいて、カリスマ(Charisma)の語源はギリシャ語で「恩愛」つまり神から特別に授けられた才能のことを意味します。
好きと嫌い。
愛と憎。
幸福と不幸。
富と貧。
善と悪。
これらはすべて二元要因であり、コインの裏表の関係の同質であることが、その本質であるわけですが、美しさは醜さと二元的には決してならない絶対一元要因であります。
好きなものに絶対的魅力を感じるとは言えません。
何故なら、嫌いな面も潜んでいるからに外なりません。
愛するものに絶対的魅力を感じるとは言えません。
何故なら、憎しみを包含しているからに外なりません。
幸福に絶対的魅力を感じるとは言えません。
何故なら、不幸がその後待ち受けているからに外なりません。
金持ちに絶対的魅力を感じるとは言えません。
何故なら、貧乏が襲ってくる恐怖感を金持ちだけが持っているからに外なりません。
善なるものに絶対的魅力を感じるとは言えません。
何故なら、悪なるものに魅かれる自分がいる故に外なりません。
しかし、美しいものには絶対的魅力を感じます。
魅力は重力に外ならないからであります。
わたしたちの人生は、重力、特に地球の重力に決定的な影響を受けて生きています。
生と死の問題も、睡眠の問題も、セックスの問題も・・・・すべての問題は、わたしたちが生きている限りつまり地球上で地球と共に運動している限り、重力に左右される。
肉体と意識とを以って存在するすべてのもの(全)を表現しているのですから、個別化された肉体と意識つまり五感と「想い」の重力と地球の重力が呼応していると言えるわけです。
従って、わたしたち人間にとっての五感の重力を魅力(Attractiveness)と言い、「想い」の重力を魅力(Magnetism)と言い、総称して「美しさ」と言うのであります。
五感と「想い」の覚醒度は反比例すると申しました。
肉体と意識、つまりTotal-『今、ここ』にいる状態のことです−であれば、完全覚醒状態であるのですが、部分である個別化された五感と「想い」では覚醒度がシーソーゲームのように二兎を追えないのです。
こっち取ればあっち取れず、あっち取ればこっち取れずの関係であるのです。
つまり、五感の魅力が増せば、「想い」の魅力は減り、五感の魅力が減れば、「想い」の魅力は増すのです。
歳を重ねていけば、肉体の重力つまり魅力(Attractiveness)は減っていきますが、逆に「想い」の重力つまり魅力(Magnetism)は増すのです。
それではじめて人生のシーソーゲームは成立するのです。
高齢化社会とは、外見上の魅力(Attractiveness)重視から、内面的な魅力(Magnetism)重視の社会であると言えるのではないでしょうか。
「心の時代」到来と言われる所以であります。