Chapter 450 自己との戦争

寝ても起きても眠っているわたしたちから、寝ても起きても醒めているわたしたちに変貌するためには、睡眠に対する態度から、先ず変わらなければなりません。
何故ならば、睡眠を採ることを是とする態度からは、寝ても起きても醒めているわたしたちを望むことは不可能であるからです。
行動する前提条件は、理解(納得)することであり、理解(納得)すること自体が行動に外なりません。
理解(納得)することは、行動の一環に入っているからであります。
知ることは、理解(納得)することの必要条件ではありますが、知るだけでは行動に移ることはできません。
知ることだけでは、大脳新皮質だけが知るだけで、大脳古皮質は理解(納得)していないのです。
知るということは、大脳新皮質が知ることで、従って人間だけにしかない行動のステップであるのです。
他の生き物の場合は、知るということは、大脳古皮質が理解することであり、従って即行動になります。
五感を通じて外界の情報が自己の体内にインプットされると、大脳古皮質に伝達され、大脳古皮質は身体の各器官を動かす司令を出す、つまり行動に移るわけです。
人間だけに−一部霊長類にもある−認められる、大脳新皮質は、五感を通じてインプットされた情報を行動に移すべきか、移すべきでないかを判断して、篩にかける能力を持っています。
知性、理性とは、まさにこの大脳新皮質の持つ特徴であります。
他の生き物に比べて、人間の反射神経つまり運動神経が極めて鈍感である所以が、大脳新皮質の持つ、知性、理性にあるのです。
腕力的に極めて弱い生き物であった故に、外敵から身を守らなければならなかった人間は、遠くを見通すことを余儀なくされ、四本足動物から視界の広い二本足動物に変身していった。
二本足動物に変身した結果、頭部の位置が高くなった分だけ地球の重力の影響が減少して、大脳に変化が起こり、それまで大脳皮質は一層のものであったのが、二層のものになった。
大脳新皮質つまり知性、理性機能の誕生であります。
行動する前に、判断という篩にかける余分な作業が生じた結果、人間は他の生き物のように、知る即行動することができなくなったのです。
他の生き物にとっては、知る即理解になるのに、人間は知ることは即理解にならないのです。
もちろん、このメカニズムには功罪両面があるわけで、先に申しましたように、自己防衛上において極めて有効な面があることは確かです。
しかし、過剰防衛に陥る危険性もあるわけです。
“思い立った時が吉日”という諺がありますが、これは過剰防衛意識に対する戒めであって、大脳新皮質の負の面を示唆していると言っていいでしょう。
従って、わたしたちは、知ることによって、行動が伴う理解に即至っていないのであります。
知ることから理解するステップがあることを、それこそ理解しなければならないのです。
知ることから理解するとは、二本足動物から四本足動物に戻ることを意味しています。
つまり自己防衛意識の放棄であり、そのためには勇気を奮うことが必須であります。
根拠のない勇気は空勇気にしか過ぎませんから、自己防衛意識の放棄など望むべくもありません。
普段のわたしたちは、知るだけで止まっている、勇気のない、腕力のない、鈍感な生き物であるわけで、挙げ句の果てに、原爆までつくるお粗末な生き物に成り下がったわけです。
知る即理解即行動するためには、他の生き物のように、敵に対して敢然と立ち向かう勇気が必要なのです。
ペットに成り下がっている犬でさえも、敵に対しては敢然と立ち向かう勇気を持っていることを、飼い主であるわたしたち人間に教えてくれます。
真理を知ることは、真理を理解することであり、真理を行動することであります。
自己の睡眠に対する態度を変えることは、外敵に対する勇気の発露ではなくて、自己の臆病さに対するものですから、大した勇気を必要とはしません。
それすらもできない人間である故に、戦争をして残虐極まりない行為をするのであって、他の生き物の世界に戦争がないのは、彼らには、知る即理解即行動するという勇気を持ち合わせているからに外なりません。
戦争をするということは、臆病さを露呈していることに外ならないのです。
睡眠を是とする態度から、睡眠を否とする態度に先ず変わることが、寝ても起きても眠っているわたしたちから、寝ても起きても醒めているわたしたちに変貌するための第一ステップであります。
それができないのであれば、寝ても起きても眠っている一生を送ることになることを肝に銘じておくべきでしょう。