Chapter 501 孤独な人生

すべての人間が、『今、ここ』に生きることができれば、昨日や明日を思い患うことのない人生を送ることができ、戦争のない社会が実現する。
国家もない、企業もない、家族もない、宗教もない、利益や利子や税もない、従って経済行為もない・・・・・組織のためのものは何もない社会。
他の生き物は組織の概念を持っていません。
群を成してボスは存在するが、人間社会のピラミッド型組織のように、ボスという社長の下に副社長がいる、専務がいる、部長がいる、課長がいる、平社員がいるといった構成にはなっていない。
社長というボスの下はすべて平社員という、ボスを中心のスクェアー型社会であります。
太陽系惑星群という社会は、太陽というボスを中心に水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星が回っているがみんな平社員であります。
組織の時代の社会とは、ピラミッド型社会を構成している社会と言っていいでしょう。
個人の時代の社会とは、スクェアー型社会を構成している社会と言っていいでしょう。
ピラミッド型社会そのものが、マルチ商法の鼠講社会であると言ってもいいわけで、上から下に対する搾取の芋蔓構図が、支配・被支配の二元論を構築しているわけです。
上から搾取されているから、下から搾取する、まさに鼬ごっこであり、その都度Jokerを渡す者、Jokerを渡される者が必要になる。
最後にJokerを掴む者、それが古代社会では奴隷であり、中世社会では信者であり、近代社会では国民であるわけで、結局はJokerを掴む役目であることに変わりはないのであります。
それがピラミッドの底辺であるのです。
スクェアー型社会におけるボスは一見独裁者のように思えますが、独裁者の独裁者たる所以は、独断者である点に注目しなければならない。
他の生き物の世界におけるボスは独裁者ではあるが独断者では決してないのであります。
拙著「富裕論」で独裁と独断の違いについて論じました。
“独裁とは、自分独りで裁決するということで、そのためには孤独から逃げることは出来ない。欲望のすべてを自己制御の対象にしなければ孤独を受け入れることは出来ない”
“独裁とは人類保存本能によって立ち、独断は子孫保存本能によって立つ”
ナチスドイツのヒットラー、イラクのフセイン、北朝鮮の金正日といった独裁者たちは、独裁者ではなくて独断者であると言った方が適切でしょう。
彼らも所詮ピラミッド型社会の社長さんであり、その下に副社長以下平社員までいるわけで、日本の大企業と何ら変わりはないのであります。
独裁者というのは、スケェアー型社会の中心に位置するオールマイティーな孤独な者なのです。
そこには余程の覚悟がない限り座ることは出来ないのです。
まさに聖職者の要件を身につけているのが独裁者であると言っていいでしょう。
組織の時代では政治家、役人、教師、医者、宗教家・・・といった職業が聖職であったのですが、個人の時代になると、わたしたち一人一人が聖職者にならなければならないのです。
何故ならば、真の個人に目覚めるとは、自分独りだけの世界で生きている、つまり孤独の中で生きることが真実の人生であることを知ることに外ならないからであります。
他のものはすべて映像であると主張する所以であります。