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Chapter 503 自由競争原理の光と陰 共産主義が頂点に達していた1970年代には、社会主義計画経済は資本主義経済を陵駕する政策だと、殆どの経済専門家が論評していました。 現に、当時の国民総生産高において、1950−1960年代のアメリカの他の追随を許さない圧倒的な一人勝ちから、アメリカを追い上げるソ連が世界第二位の経済力を持つに至っていたのです。 戦後の奇跡的な経済復興を遂げた日本が、国民総生産においてドイツを抜いて西側世界第二位になった頃ですが、その第二位というのは東側諸国を除いての話であって、全世界ではソ連が日本よりも遥かに上回っていた時代でした。 1980年代に入って、ソ連の経済状態が悪化しはじめると、その計画経済政策に問題があるとする経済専門家の声が出はじめ、自由競争原理に基づく資本主義経済の方が経済発展力があるという論評が圧倒的になったのです。 しかし、ソ連の経済の悪化は計画経済そのものに真の原因があったのではなく、全体主義(独裁主義)という階級制度が高じた結果、政治家・役人の腐敗度が極致に達していたことが、資本主義社会の民主主義による政治手法の腐敗度よりも劣悪であった点にあったのです。 結果、アメリカよりもソ連の崩壊を速めただけのことです。 当時のアメリカの経済状態も、日本からの追い上げもあって、疲弊状態にあったのです。 “Japan as No.1”なる本がアメリカで出版された時代であります。 第一次世界大戦でドイツ・オーストリア・ハンガリーがもう少し我慢できたら、イギリス・フランス・アメリカが勝利していたかどうか判らなかったのと同じで、ソ連がもう少し我慢していたら、アメリカの方が先に崩壊していたかも判らないのです。 しかし、当時の経済専門家の殆どは、自由競争原理が働くことでお互い切差琢磨して経済が発展していくことを、まるで真理のように声高らかに叫んでいたのです。 評論家なる輩たちが、如何にその場主義の拝金主義者であるかを物語っています。 そして今では、自由競争原理が経済発展の鍵であると信じられているのですが、果たしてそうでしょうか。 1989年の冷戦終結以後、世界は構造的デフレーションの時代に入り、まだその傾向は続いています。 自由競争原理が経済発展の唯一の鍵として、冷戦終結後もその体制が維持されたのですから、右肩上がりのインフレーションが続いた筈です。 失われた10年である1990年代は、東西諸国が融合した過渡期だったとしても、未だに構造的デフレーションが続いている原因は、自由競争原理に基づく経済や、統制に基づく計画経済などに因るものではないことを示唆しているのです。 二元論的考え方の人間社会に限界が来ていることを示唆しているのです。 経済という言葉そのものが生まれたのが、近代社会に入ってからのことであります。 織田信長が開いた楽市楽座が、世界初の自由競争原理の経済の概念でした。 しかし、織田信長は天下を治める方便つまり日本のグローバリゼーションとして、楽市楽座を開いたのであって、そこには支配・被支配の二元論が厳然と働いていたのです。 天下を治めるとは、世界一国家であり、グローバリゼーションのことであります。 国家のない世界とは、支配・被支配という二元論を超えた三元論世界のことを言うのであります。 自由競争原理に基づく経済や、統制による計画経済を超えたもの、即ち経済の概念を超えた社会が三元論世界であります。 |