Chapter 507 共生社会

民主主義社会とは多数決の原理で何ごとも決められる社会です。
従って、質よりも量が優先される社会と言ってもいいわけで、味噌も糞も区別できない悪癖を持った社会と言えます。
それが衆愚政治を齎す原因になるのです。
質と量は反比例関係にあるのが二元論世界の法則ですから、質の良いものは数が少なく、質の悪いものは数が多い。
数の論理が優先する民主主義社会では、質の悪いものが質の良いものを圧倒する結果になる。
選挙で選ばれた政治家は、質の悪い連中によって選ばれた質の悪い連中であるのですから、民主主義社会の政治家は質の悪い政治家の代名詞だと言っても過言ではありません。
質の悪い政治家によって運営される国家もまた質の悪い国家であるのは当然の帰結でしょう。
“我こそは!”と手を挙げる奴ほど碌な奴はいないのです。
ピラミッド型社会のメカニズムこそ民主主義という考え方であり、その中に共和制と立憲君主制が、これまた二元要因を成しているのであり、単に方法論の違いだけであって、ピラミッドの頂点を選ぶことには何ら変わりなく、選挙で選ぶか、内輪揉めの殺し合いで選ぶかの違いだけであります。
選挙で選ぶのが民主的であり、内輪揉めの殺し合いで選ぶのは民主的でないと言うのではありません。
ピラミッドの頂点を選ぶメカニズムですが、厳密に言えば、上司を選ぶ階層構造のメカニズムつまりマルチ商法の鼠講社会がトップダウン方式であるのに対し、民主主義とはボトムズアップ方式のやはりマルチ商法であるのが実態であると言っていいでしょう。
民主主義社会とは所詮マルチ商法まがいの詐欺社会と言っても過言ではないのです。
質の悪い政治家たちが、民主主義を標榜しながら、数の論理だけを追求する様は、宗教団体から政治団体を興した連中の選挙運動のやり方で嫌というほど思い知らされている筈です。
こんな現象が起こるのは、一重に民主主義思想に対する誤った錯覚から起こっていることを、もういい加減認識しなければ、支配・被支配の二元論社会から抜け出ることはできません。
古代社会においての奴隷が、近代民主主義社会では大衆という名の下の国民であって、奴隷と何ら質的には変わらないのです。
個人重視のゲマインシャフト(共同社会)から、組織重視のゲゼルシャフト(利益社会)になった結果、支配・被支配の二元論社会になってしまった。
ひとたび利便性を知った人間が、その利便性を捨てることは極めて難しいものです。
文明の進化によって共同社会から利益社会に変わっていった一面も無視するわけにはいかない。
ゲゼルシャフトからゲマインシャフトに後戻りすることはできない。
最近、見識者の人たちの間で囁きはじめられている「共生社会」の概念が、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの円回帰運動の鍵になるかも知れません。
共同社会・利益社会・共生社会が、運動の光と音(喧騒)の宇宙の中での円回帰運動に則しているなら、新しい時代のコンセプト(価値概念)として試行する価値はあるでしょう。