Chapter 509 『今、ここ』は万能薬

口から音で発する言葉は五感を通じて伝達されるので時差が生じますが、「想い」で発する言葉は時差が生じません。
つまり五感で受信されるものは「過去」という情報であり、『今、ここ』のものではありません。
視覚で以って伝達されるのは画像であり、画像は光という乗りものの速度で移動する。
聴覚で以って伝達されるのは音であり、音は音速で移動する。
嗅覚で以って伝達されるのは匂いであり、匂いは大気という乗りものの速度で移動する。
味覚で以って伝達されるのは味であり、味は食べものという乗りものの速度で移動する。
触覚で以って伝達されるのは肌触りであり、肌触りは他者−自己の肉体を含めての他者−という乗りものの速度で移動する。
つまり五感で受信されるものはすべて速度(映写速度)を持った他者という映像(乗りもの)によって運ばれてきたものであるわけですから、『今、ここ』のものではなく、過去従って未来のもの、つまり情報なのです。
一方、「想い」は一瞬−ここで言う一瞬は時間の流れがないという意味−で伝達されるから速度はありません。
速度とは時間の要因が加わった−速度とは移動距離を時間で微分したものという意味−ものである、つまり時間に流されている、時間に支配されていることに外ならない。
従って、速度を持つものはすべて三次元空間世界以下のものだという証明でもあります。
逆に言えば、速度を持たないものは、時間に流されていない、時間と共にいて、時間に支配されていないわけですから、四次元時空間世界のものであります。
つまり、『今、ここ』の世界であります。
四苦八苦の原因は、過去や未来に「想い」を馳せた結果であると申してきました。
五感で受信されたものは、すべて過去・未来情報であり、『今、ここ』のものではないことを認識し易いのですが、「想い」という乗りもので運ばれたものは速度がない、つまり時間に流されたものではないから、『今、ここ』のものと錯覚し、現実だと思い込む結果、思い悩むのです。
五感で受信したものは飽くまで他者情報であるのに対し、「想い」を過去や未来に馳せると自己情報だけに深刻になるのです。
触覚で感じたものを映像と思えない所以がここにあります。
情報は所詮他者情報つまり他人事であるのです。
思考というものが、「想い」が連なったもの、つまり連想であると申しました所以であります。
速度のない「想い」が連なるから、ひとつの「想い」と錯覚するのです。
そうしますと、病気になって苦痛を感じるのは五感の中の触覚の為せる業ですから、これも過去・未来情報と言ってもいいわけです。
肉体が苦痛に耐えることができるのは限界があって、限界を超えると気を失うことによって、更に言えば、死ぬことによって苦痛から解放されるメカニズムがあると医学は言います。
苦痛を感じているということは、過去や未来に「想い」を馳せているからであり、つまり連想する結果であり、「想い」の本来性である、『今、ここ』にいれば苦痛を感じないのです。
苦痛の中で時折、苦痛が消える瞬間があります。
それは、『今、ここ』の一瞥経験の瞬間であるからです。
わたしたちは意識する、しないに拘らず、『今、ここ』の一瞥を常に得ながら生きているのです。
それは、『今、ここ』に生きている証であります。
そのことに気づけば気づくほど、『今、ここ』の一瞥体験が増え、精神の苦痛のみならず、肉体の苦痛からも解放されるのです。