Chapter 510 真実の歴史

歴史とは、空間の時間的変化のことであり、まさに四次元時空間世界の話であります。
『今、ここ』という静止画面を積み重ねた映像フィルムであるわけですが、その中の個別の静止画面と微妙な違いがあることが、固有の四次元時空間世界になるわけですが、それは空間の位置の違いだけで、時間の位置は同じです。
地球の歴史、世界の歴史、日本の歴史、自己の歴史は、空間の位置の問題だけで、時間の位置は同じである、つまり地球という歴史を撮影するカメラ、世界という歴史を撮影するカメラ、日本という歴史を撮影するカメラ、自己という歴史を撮影するカメラによって撮影された静止画面と、その積み重ねた映像フィルムが違っているだけで、撮影現場つまりロケ(Location)は同じであることを、よく理解しなければなりません。
拙著「神はすぐ傍」PART(II)Chapter40“事実と真実と真理”で、二次元テレビでは事実の一部しか見えないが、三次元テレビでは事実の全体が見える、四次元テレビでは真実が見える、しかし真理は五次元テレビでしか見えないわけで、残念ながら五次元要因が何であるかわかっていない、わたしたち人類には真理はわからないということを申しました。
その中で、わたしたちは事実の一部だけを見ながら生きているのです、つまり静止画面という『今、ここ』の積み重ねた映像フィルムどころか、静止画面一枚一枚しか見えずに生きているのです。
わたしたちが五感で感じている世界は、事実である世界どころか、事実の一部の世界しか感じないで生きているのです。
他者はすべて映像であると主張する所以であり、自分独りだけの劇場の実舞台の後ろにある背景画面が他者であると主張する所以であります。
事実は背景画面の前にある実舞台であるわけで、背景画面は事実の一部しか映っていない二次元平面テレビであるのに対し、実舞台は事実が映っている三次元空間テレビであるのです。
つまり自分が出演しているか、出演していないかの違いが、背景画面と実舞台の違いであるわけです。
地球の歴史、世界の歴史、日本の歴史では、自分は事実の一部でありますが、自己の歴史になってはじめて、すべての事実が顕れてくる。
従って、歴史とは自己の歴史だけが事実の歴史であって、地球の歴史、世界の歴史、日本の歴史は、事実の歴史とは違うのであります。
ところが地球の歴史、世界の歴史、日本の歴史が、人間という個人の歴史のレベルで書かれている。
つまり歴史とは、一部の事実であっても、事実でも真実でもないということです。
ましてや、真理など見えるわけはないのであります。
事実・真実・真理はすべて個人の問題であり、組織の問題ではないということであります。
真実と嘯く歴史。
真理を説く宗教。
それらは所詮、組織という背景画面でしか映され得ない幻想の世界であり、個人の歴史、個人の宗教しか在り得ないわけで、個人の時代こそ本物の時代、つまり事実・真実・真理の時代であるのです。