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Chapter 511 事実と真実の映像 二元論世界は、三次元空間世界の運動法則であります。 つまり、空間(立体)世界では平面運動しかできないのです。 N次元世界の運動法則は(N−1)元運動しかできないから、(N−1)元論世界であるわけです。 二次元テレビつまりわたしたちが日常見ているテレビでは、事実の一部しか見ることができないと申しました。 拙著「神はすぐ傍」PART(II)Chapter40“事実と真実と真理”で次のようなお話をしました。 “数学で座標というものがあります。 X軸とY軸という二本の線が直角に交わった座標を二次元(平面)座標と言います。 X軸、Y軸、Z軸という三本の線がそれぞれ直角に交わった座標を三次元(立体)座標と言います。 我々が生きている世界はこの三次元座標上にすべてを表現できる世界であり、三次元テレビというものも既に、20年程前にアメリカで開発され、我々が普段見ているテレビは二次元テレビですから、正面からしか見ることが出来ませんが、三次元テレビで見ますと、横からも後ろからも見ることが出来、たとえば二次元テレビでは美しい女性がこちらを向いて立っていますと、正面からの姿しか見えませんが、三次元テレビだと、横からも見え、その女性の横顔が見え、正面からは美人に見えたが、横顔は鼻が低くて正面から見た程に美人ではなかったことが判るのです。 また後ろから見たら、体全体の線が見え、特にヒップ辺りの曲線美がくっきりと見え、改めて美しい女性であったことが判ったりするわけです。 二次元テレビで見るものは、その一部の姿を顕すだけですが、三次元テレビだと、全体を顕してくれるのです。 すなわち、事実が見えるわけです。 そうしますと、二次元座標では、その一部(360度の内の90度分だけ)しか表現出来ないのが、三次元座標では事実(360度全部)を表現出来ることが解ってきました。” 従って、二元論の考え方をしている限り、わたしたちは事実の一部しか見えない、つまり理解できないのであります。 考えてみれば至極当たり前のことですが、善か悪か、強いか弱いか、金持ちか貧乏か、幸福か不幸か、天国か地獄か、といった考え方しか出来ないのですから、この二つの極端の間を往ったり復ったりする人生は、事実の一部しか見ないで、善か悪か、強いか弱いか、金持ちか貧乏か、幸福か不幸か、天国か地獄か、と喚く精神障害そのものの人生を送っているのです。 他の生き物は、善か悪か、強いか弱いか、金持ちが貧乏か、幸福か不幸か、天国か地獄か、といった考え方などしていない、ただ生きているだけです。 ところが三元論の考え方をすると、事実が見えてくることを、三次元テレビは証明してくれているのです。 わたしたちが普段の生活の中で、一面的なものの見方しかできていないのも、同じ理由からです。 少なくとも、全方向つまり360度のものの見方をしないと、事実を見ることができないのであります。 真実を見ようとするならば、更に進まなくてはなりません。 拙著「神はすぐ傍」PART(II)Chapter40“事実と真実と真理”は続きます。 “同じ考え方で四次元座標をイメージしてみましょう。 X軸、Y軸、Z軸、そしてT軸の四本の線がお互いに直角に交わった座標です。 もちろんT軸は時間軸です。 三次元テレビでは事実を見ることが出来ました。これは二次元テレビでは三次元テレビの一部しか見られないのを、全体を見ることが出来るという意味であります。 それでは四次元テレビで見えるものは、三次元テレビで見える事実以上のものが見えるのではないかと、容易に想像出来ます。 それでは、それ以上のものとは一体何でしょうか。 三次元テレビで見えるものは事実と申しました。 事実とは、ありのままの姿と言ってもいいでしょう。 ありのままの姿とは、変化しないと言うことに注目してください。 どんどん変化していけば、どれが本当の姿か判りません。 先ほどの喩えで話しますと、二次元テレビでは事実−ありのままの姿−の一部しか見えないと申しました。 正面から見えるだけですから、美しい一部分が見えたのです。 ところが三次元テレビで見ると、鼻が低いが、後ろ姿は素晴らしいといった、映っている女性のいろいろな姿を見ることが出来ました。 それが事実−ありのままの姿−であります。 しかし、時間軸が加わった四次元テレビが、もし開発されたら、時間の流れと共に、その女性の姿が変化していくのが見えるわけです。 産まれたての赤ん坊の時、少女の時・・・・老婆の時と変化していく姿が全部見えるのです。 人間の一生は、いろいろな体験によって精神の変化が起こり、その精神の変化が肉体にも反映されて、肉体そのものも変化していきます。 三次元テレビでは、その変化の模様を見ることが出来ません。 つまり、その時点での事実を見ることが出来ても、そこに映っている女性の一生を見ることが出来ません。 その女性の、この時点でのありのままの姿も、その女性の一生の姿からすれば、やはり一部分であるのです。 わたしは、その女性の一生の姿が、その女性の真実だと思うのです。 人間というものは、ころころ変わる心があって、つい先ほど思っていた美しい気持ちが、今では醜い怒りの気持ちに変わるものです。 それが真実であります。 つまり、真実は、T軸という時間軸をも加えないと見えないということであります。” 従って、わたしたちが見ている他者というのは、二次元テレビから三次元テレビ、更には四次元テレビという映像に外ならないのであります。 実在しているのは、それらのテレビを観ている、『今、ここ』の自分独りだけであるのです。 |