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Chapter 516 この世的成功者は生ける屍 『今』にも無限の『今』があり、その基点が『今、ここ』であります。 わたしたちが普段「時間」と称しているものは、無限の昨日・明日があり、一点−厳密に言えば『今』は過去から未来へ流れる心理的時間の矢の線上にはないので、一点もない−の『今』しかない水平的拡がりのある実時間であります。 実時間が流れる世界は、運動の光と音(喧騒)の世界であり、ホーキング博士が言った三本の時間の矢の世界であります。 わたしたち姿形あるもの(立体)が存在しているのは三次元空間ですが、そこに時間が加わったのは、姿形あるもの(立体)が動く(運動する)世界だからです。 姿形あるものが運動しなかったら、時間の概念も要りません。 三本の時間の矢の一本である、過去から未来へと流れる心理的な時間の矢も、運動する世界だから存在価値があるわけです。 他の生き物も確かに姿形あるもので、運動の世界に存在しているけれど、彼らは心理的時間の矢の流れの中では生きていない、つまり(実)時間の概念がない、『今、ここ』に生きているのです。 『今、ここ』は運動の世界ではなくて、静止の世界との繋ぎ目であり、一枚の静止画面であります。 従って、運動の光と音(喧騒)の世界とは、映像の幻想の世界だと断定できるでしょう。 何故ならば、動画フィルムとは静止画面を何枚も積み重ねたものであり、実際に動いているものなどなく、何枚もある静止画面をパラパラとめくる結果−この行為こそが運動の所以−恰も動いているように見えるだけのことです。 まさに映像であり、幻想である所以であります。 そんな映像、幻想の中で唯一実在する自己の真実が顕現している四次元世界への繋ぎ目であり窓であるのが、『今、ここ』です。 わたしたちが生きているかどうかの境界が、『今、ここ』であり、昨日や明日に「想い」を馳せている限り、わたしたちは生ける屍であります。 生ける屍が、自己の命を使うこと、つまり使命を果たすことは叶いません。 使命に気づくことが、『今、ここ』に立つことであり、使命を果たすことはそこから始まるのです。 お金持ちや、この世的成功を得た人は、所詮多い少ないが物差しの量的世界の水平的拡がりの世界での話であり、使命を果たす世界は、高い低いが物差しの質的世界の垂直的拡がりの世界であります。 その始点が、『ここ』が加わった『今、ここ』であり、そこから無限の『今』を探求する五次元世界の旅がはじまるのです。 五次元世界の旅には、実時間の時計ではなくて、虚時間の時計が必要なのです。 使命に気づき、使命を果たすには、過去や未来に「想い」を馳せている限り不可能です。 人生80年、未だに使命に気づいていない人たち。 先ずは、『今、ここ』に立つことを決断実行することです。 そこから永遠の自分だけの心の独り旅がはじまるのです。 お金持ちや、この世的成功は、他人から自分を見た相対評価の物差しでのことであり、運動する性格上移ろいやすいのです。 使命に気づき、使命を果たして生きることは、自分で自分を見た絶対評価の物差しでのことであり、無限の昨日や明日がない、一点の『ここ』に立つ生き方であります。 “あの人は、お金持ちで、世間的地位の高い人で素晴らしい!”と他人から誉められても、自分の命を使って生きていない、つまり使命に気づき、使命を果たしていないことは自分が一番よく知っているわけで、そんな人生は空しいばかりです。 他人の目や言葉を気にする人は生ける屍であります。 この世的成功者は、必ず他人の目、他人の言葉を気にする、生ける屍であります。 |