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Chapter 519 すべての根源 拝金主義は一種の宗教であります。 拝む対象である万能の神がお金になっただけのことであり、神という拝む対象も、拝む側の都合によって太陽であったり、火であったり、目に見えない疑似人間であったりするだけで、自分以外のものを崇める偶像崇拝に何ら変わりはないのであります。 そして偶像崇拝の宗教が辿るのは、裏切り、裏切られというお決まりのコースであります。 旧来の宗教も、新興宗教も、組織になった時から内紛という、裏切り、裏切られのコースを辿る運命にある。 キリスト教とイスラム教の争いは、まさに裏切り、裏切られの内紛の典型であり、インドでのヒンズー教、仏教、イスラム教の争いも同じです。 宗教は所詮ビジネスですから、市場で企業が競うのと同じで、宗教市場で宗教団体が競っておるのであり、競争が高じて殺し合いの戦争までやる始末だけに、他のビジネスよりも性質が悪い。 拝金主義というのが、資本主義が行き着く極致である点において、宗教色が極めて強くなったビジネスと言っても過言ではない、つまり市場で競うだけで収まらずに、殺し合いまでする危険極まりないビジネスになると言っていいでしょう。 宗教同士が聖戦と叫んで殺し合いをするのは、市場で競う経済行為の延長線にあることを認識すれば、アメリカがイラクと戦争をする理由も、イスラエルとパレスチナ紛争も理解できる筈です。 結局の処、自己以外のものつまり他者を拝む偶像崇拝にその原因があるのです。 他者を拝むということは、状況や環境の変化によって拝む側の「想い」が移ろう度に、裏切り、裏切られが起こるのです。 運動の光と音(喧騒)の宇宙で生きている限り、他者の状況や環境が移ろうのは法則であります。 その度に、やれ裏切った、やれ裏切られた、と喚いて殺し合いをしているのが人間社会であります。 肉体という全体の一部である五感と、意識という全体の一部である「想い」で生きている人間は畢竟、自他の区分けをして生きざるを得ないわけで、人間だけにある戦争という行為も、自他の区分けから生じる四苦八苦の人生観の延長線上にあると言わざるを得ません。 つまり、昨日を悔やみ、明日を思い患うことから宗教が興り、戦争が絶えない人間社会になってしまったと言っても過言ではありません。 自他の区分けが起こる二元論的考え方から脱却するしか道はないのです。 |