Chapter 521 夢は三元(一元)世界

夢の中では、わたしたちは盗みもします、殺しもします、レイプ−女性の方でも夢の中ではレイプされるのではなくてレイプをする、つまり夢の中では、自分は飽くまで登場者ではなくて鑑賞者ですから、受け身型は有り得ません−もします。
1)神は主なるわたしをおいて他にいてはならない
2)あなたはいかなる偶像崇拝もしてはならない
3)あなたの神、主をみだりに唱えてはならない
4)あなたは六日働いて七日目は安息日として休まなければならない
5)あなたの父母を敬いなさい
6)あなたは殺してはならない
7)あなたは姦淫してはならない
8)あなたは盗んではならない
9)あなたは隣人に対して偽証してはならない
10)あなたは隣人の所有するものを欲してはならない
つまり聖書に書かれてある十戒をすべて破っています。
しかし、朝目が醒めて、夢だと気づいても嫌な気分を引き摺るどころか、却ってもう一度夢を観たいと思います。
一方、朝目が醒めて、夢だと気づいて嫌な気分を引き摺るのは、過去にあった出来事や未来に対する不安つまり普段目が醒めている間にもある、過去と未来に対する「想い」に関わることが再現されている場合であって、自分が受け身型になっている場合であります。
自分が何かを追いかけている夢は引き摺らない夢。
自分が何かに追いかけられている夢は引き摺る夢。
その原因は、夢とは飽くまで映画で、それを鑑賞しているのが自分であって、映画に登場している自分は決していないにも拘らず、自分が映画の中に登場しているかの如く勘違い−これを自己同化(Self-Identification)と言う−した場合に、受け身型を取り、結果不愉快な「想い」をして、夢だと気づいても引き摺るのです。
恐怖映画の中で自己同化すると、自分が出演していないのに恐怖を憶える。
恐怖映画を鑑賞者の立場で観ていると恐怖を憶えない。
これは一体何を示唆しているのでしょうか。
つまり嫌な「想い」をする原因は、善悪、強弱、貧富、賢愚・・・幸・不幸、天国・地獄、神・地獄と言った二元要因にあるのではなくて、自分が受け身型で生きているか、そうでないかに掛かっていることがわかってきます。
映画の中に自己同化して受け身型になっているか、映画を鑑賞者として観ている自分であるかに掛かっているのです。
映画に出演してもいないのに、映画の中に自己同化して受け身型になっていると、追いかけられる、殺される、盗まれる、レイプされる破目になるのです。
映画を鑑賞者として観ていると、追いかける、殺す、盗む、レイプする自分がいても何ら罪意識を感じないのです。
他の生き物の世界では、殺しも、盗みも、レイプも日常茶飯事ですが、彼らは何ら罪意識を感じていない、つまり殺しだとか、盗みだとか、レイプだとかいった観念から生じる罪意識は一切ないのであります。
わたしたちも彼らと同じ生き物ですから、罪意識のDNAよりも更に深い処のDNAに、彼らと同じ意識が潜んでいるのです。
夢の中ではそれがはっきりと顕れて来るわけです。
普段のわたしたちが思い悩み、四苦八苦する人生を送っているのは、罪意識のDNAを傷つけることから起こっているわけですが、実は更に深い処にあるDNAに気がつけば、罪意識のDNAは雲散霧消してしまうのです。
夢は、そのことを気づかせてくれるのです。
しかも、夢は四六時中上映している。
早くこのことに気づけば、善悪、強弱、貧富、賢愚・・・幸・不幸、天国・地獄、神・悪魔の二元論的考え方から解放されるのです。