Chapter 527 一瞥が成長の糧

二元論的考え方には、必ずふたつの補完要因が必要です。
善に対して悪であります。
振り子の運動の一方の端と他方の端であります。
二元論的考え方の基本を理解していないと、補完要因ではなくて対立要因と捉えてしまう結果、その時の自分の状態によって都合の好い方を選択するという行動つまり『好いとこ取り』をしようとするのです。
善と悪の概念が、時代(時)によって、国(場所)によって違うのは、対立要因と捉えた結果に外ならないのです。
補完関係と対立関係とは違います。
たとえば10円玉というコインがここにあるとすると、『今、ここ』においてはつまり時間と空間を共有する世界においては、10円玉の表と裏は補完関係にある。
10円玉というコインは、表だけでも裏だけでも存在し得ない、表と裏が両方揃って存在し得るのです。
美しい貝が更にここにあるとすると−比較する存在としての他者が存在する空間になると−ある人は10円玉のコインの方に価値があると思い10円玉を欲しがるが、他の人は美しい貝の方に価値があると思い美しい貝を欲しがる。
ある人と他の人は、実は自分でもある。
Chaprter511「事実と真実の映像」でお話しましたように、自分という存在の事実は『今、ここ』だけの事実であり、自分という存在の真実は時間を貫いた中での事実の変化すべてを表している。
子供の頃の自分は10円玉より美しい貝の方に価値を見出していたから、どちらか一方を選ぶとすれば、美しい貝を選んだ。
大人になった自分は美しい貝より10円玉の方に価値を見出したから、10円玉の方を選ぶ。
子供の頃の自分も、大人になった自分も同じ真実の自分であります。
つまり変化した無数の事実の自分が真実の自分の中には含まれるのです。
本当の自分とは、変化する無数の事実の自分を貫く一貫した真実の自分であります。
美しい貝も、10円玉というコインも、価値あるものと思える真実の自分こそが本当の自分であります。
そうしますと、美しい貝と10円玉というコインは対立関係から補完関係になります。
両方ともなくてはならないものになります。
まさに10円玉というコインの表と裏のようなものになります。
三次元空間世界に生きていると、時間に流される結果、変化し続ける無数の事実の自分を本当の自分だと勘違いしてしまうのです。
四次元時空間世界に生きていると、時間と共にいるから時間に流されない結果、真実の自分を本当の自分だと理解できるようになるのです。
諸行無常の世の中は、三次元空間の世界であり、変化し続ける無数の事実の自分つまり「私」がいるかの如く思うが、四次元時空間の世界では変化しない一貫した唯一無二の真実の自分つまり「わたし」がいる。
真実の自分を発見するには、三次元空間世界と四次元時空間世界の境界である、『今、ここ』に立つしかないのですが、三次元空間世界が運動の光と音(喧騒)の世界である故に、常に運動しているから静止することができない。
『今、ここ』に立つということは静止するということですから、運動の世界では不可能なのです。
しかし一瞥は可能であり、逆に一瞥は存在しなければならないのです。
何故ならば、三次元世界は四次元世界の一部ですから、四次元世界に通じる窓やドアーは必ずなくてはならないのです。
『今、ここ』が窓でありドアーであると申しました所以であります。
わたしたちは息をして生きています。
生まれた時は死んでいましたが、生まれた直後に息をすることによって命を得たのです。
生まれたての赤ん坊が、『オギャ!』と泣くのは、息を開始したシグナルで、その時はじめて命を得たのです。
そして死ぬことを息を引き取るといって、息の停止が死であるわけです。
息は吸う息と吐く息があります。
吸うばかりの息ではすぐ死にます。
吐くばかりの息でもすぐ死にます。
吸うと次は必ず吐く、吐くと次は必ず吸う。
そうしますと吐く息と吸う息の間には必ず折り返し点があります。
折り返し点がなければ、吸うばかりになるし、吐くばかりになる。
つまり二元論的考え方には、振り子の運動と同じで、必ず折り返し点がなくてはならないのです。
それが、『今、ここ』であります。
自動車が走ることができるのは、回転する力をタイヤに伝達する構造になっているからです。
自動車の中でも、大型トラックやバス、またレーシングカーのように、より大きな力を伝達するためには、ダブルクラッチを使ってシフトギアーをニュートラルポイントで一旦停止しなければならない。
ところが、普通の自動車ではローからセコンドへのギアーシフトを、ニュートラルポイントを素通りしてしまう。
ニュートラルポイントを素通りするとは、通過するけれども意識していないということを意味しています。
つまり眠った意識のことを示唆しているのです。
意識の眠った性能の低い人間は、ニュートラルポイントを素通りしても構わないのですが、性能の高い人間になるには、ダブルクラッチを使ってニュートラルポイントで一旦止まらなくてはならないのです。
ニュートラルポイントで一旦止まることが、悟りの一瞥であり、『今、ここ』に立つことであります。