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Chapter 531 拝金主義からの脱却 善悪二元論的考え方が拝金主義社会を創り、宗教がそこに加担した。 つまり拝金主義とは神という偶像崇拝することに外ならないわけで、神を信じる深層心理には、お金を信じる本音が横たわっていると言っても過言ではないでしょう。 宗教にはお金が付きものだと言い換えてもよい。 二十一世紀にやって来る新しい時代には、宗教が消滅するだろうと申しました所以であり、宗教と拝金主義とは表裏一体の二元要因であるわけです。 現代社会は、神の存在よりもお金の存在の方が強くなり過ぎた、まさしく宗教の裏型社会の様相を呈しているのです。 現代社会が近代社会の行き着いた姿であり、近代社会が宗教色が強くなり過ぎた中世社会の反動で生まれた社会であることを鑑みると、現代拝金主義社会は歴史の必然と言えるかも知れません。 拝金主義社会が堕落した社会であると捉えるのではなくて、歴史の必然性からの産物であると捉えないと、次の新しい社会に進むことはできないのであります。 わたしたち人間は、自分たちが生きている社会を、好い意味でも悪い意味でも特別なものと思い込む性癖があります。 末法思想−世紀末思想など−がその典型でありますが、歴史というのは時間の概念があってはじめて生まれるものであり、時の流れなくして歴史は語れないにも拘らず、歴史を語る者は時の流れの一断面で語っているという大いなる矛盾があることを自覚しなければなりません。 三次元空間世界で二元的運動をしている、つまり二元論的考え方をしている限り、語ることのできる歴史はすべて末法思想になるのです。 それは事実の一部を語っているだけで、すべての事実を語っているわけでもなく、況してや時の流れの中で顕れる真実を語ることなど到底できないのであります。 四次元時空間世界で三元論的考え方をしない限り、歴史の事実や真実を語ることはできないのです。 拝金主義社会から脱却するには、時の流れの中で歴史を鳥瞰する三元論的考え方が必須であるのです。 お金がすべてであるという拝金主義思想は、お金に対する恐怖がその源泉にあるのは、神がすべてであるという宗教が神に対する怖れがその根源にあるのと同じです。 拝むということは怖れることに外ならないのであって、好きで拝んでおるわけではないことを、わたしたちは自覚しなければなりません。 わたしたち人間は、こういった錯覚をしながら生きているのが実態であり、その錯覚から醒めることが最も基本的な要件であります。 一日の中でどれだけ錯覚の人生を送っているかを検証してみることこそ、自覚した人生の第一歩であり、その延長線上に、拝金主義、拝神主義からの脱却があるのです。 |