Chapter 534 お金のない社会

二元論的考え方の極致にあるのが、拝金主義と拝神主義だと申しました。
肉体の一部である五感が鈍感になればなるほど拝金主義が高じる一方、意識の一部である「想い」が鈍感になればなるほど拝神主義が高じる。
五感が肉体の自他の区分けの原因であり、五感が鈍感になると、人間の五感の中で最も機能している視覚に対する執着が強くなり、目に見える他者のもので最も客観性のあるお金に対する執着が強くなるからです。
「想い」が意識の自他の区分けの原因であり、「想い」が鈍感になると、人間だけにある大脳新皮質の機能つまり善悪の判断機能に対する執着が強くなり、善悪の判断が罪の概念を生み、罪の概念が罰の観念を生み、人間に取って替わって罰を与える神が必要になるからです。
従って、二元論的考え方の極致にある拝金主義と拝神主義を超えない限り、三元論的考え方にはなれません。
二元論的考え方の極致である拝金主義と拝神主義が、人間だけが起こす最大の悲劇である戦争の原因であると言っても過言ではありません。
戦争の原因が常に、宗教上の相克と経済的問題にあったことがその証左であります。
新しい時代は、二度と戦争のない人間社会にしなければなりません。
近代日本は、欧米キリスト教諸国やイスラム教アラブ諸国のようにガチガチの拝神主義になっていないのが幸いして、戦争体験の少なかった国家であります。
近代社会に入ってからの450年間に起った戦争の数は、イギリス、フランスがおよそ80回、ドイツが30回、日本は10回足らずであることがそれを示しています。
その逆効果として、拝金主義が高じてしまったのが現代日本社会であります。
従って、今の日本という国にとって一番先に手をつけなければならない課題が、拝金主義からの脱却と言えるでしょう。
バブル経済の真只中で拝金主義が日本中に蔓延した。
バブル経済破裂が拝金主義からの脱却の絶好の機会だったが、ちょうど同じ時に冷戦が終結して世界経済が構造デフレーションに入った結果、失われた10年という、拝金主義からの脱却どころか、ますます拝金主義が高じてしまって現在に至ったのが日本の実態であります。
拝金主義から脱却するには、お金のない社会を構築しなければなりません。
ゲマインシャフト(共同社会)である原始社会はお金のない社会でしたが、今更原始社会に戻るわけにはいきません。
貧富の二元概念がないのが一元原始社会でした。
貧富の二元概念が生まれたのがゲゼルシャフト(利益社会)であり、その極致に拝金主義があった。
拝金主義を脱却するには、貧富の二元概念を超えた三元論的考え方にならなければなりません。
貧富の二元概念を超えた三元論的考え方が生む社会は、やはりお金のない社会であります。
貧富の二元概念を超えるには、貧富の本質を見抜かなければならない、つまり富の変遷の歴史を検証する必要がある。
拙著「富裕論」で、人間社会における富の概念の変遷を書き、新しい時代の富の定義を、お金から徳へ移行すべきであると結論づけました。
“金持ちの時代から徳持ちの時代へ”をサブタイトルにした所以であります。
お金のない原始社会では、腕力に取って代わった知力がパワーつまり富の源泉でした。
新しいお金のない社会では、知力に取って代わった徳力がパワーつまり富の源泉でなければならないでしょう。
そのためには、徳の概念を構築しなければなりません。
衣食住という生きる上の基本要件であるモノを得る手段として、金力がモノを言っていた時代から、徳力がモノを言う時代にしなければならない。
新しい時代のお金のない社会とは、徳力中心の社会と言ってもいいでしょう。
モノづくりに長けている日本人こそ徳力に長けていると言えるわけで、長い遠回りをしたのも学習のひとつだったと考えるべきであります。