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Chapter 536 二種類の物指し お金を計る物差しは量の多少ですが、徳を計る物差しは質の高低です。 物差しの本質は程度を計る点にあり、二元論的考え方のように右か左、YesかNo即ちAll or Nothingと言ったものではないのです。 これは何を意味しているかと申しますと、わたしたちが生きている運動の光と音(喧騒)の世界は三次元空間世界でありますから、二元論的考え方に陥りやすいのですが、二元要因を体感できるのは殆ど不可能だと言ってもいいでしょう。 振り子の運動が二元論の特性を如実に表わしています。 右端に到達すれば必ず反転して左端に向かい、左端に到達すれば必ず反転して右端に向かうのが振り子の運動です。 振り子は常に動いているが、反転する右端と左端において一瞬−厳密には一瞬も時間であり、『今、ここ』の今と言った方がよい−ですが静止している。 運動の特性と静止の特性が、振り子の運動によく表われているのです。 運動の特性は程度の問題であり、静止の特性が絶対一元を基にした二元要因同時性つまりAll or Nothingにある。 All or Nothingとは、どちらか一方という問題ではなくて、両方とも同時に起こる−同時性−ということなのです。 しかも、運動の光と音(喧騒)の世界では、計ることができるのはすべて程度という過程であって、右か左と言った結論ではないということを理解しなければなりません。 X軸とY軸の二元座標に描かれた二次曲線である双曲線が、X軸にもY軸にも決して交わるつまり到達することがないということが、二元運動の特性を正確に表わしているのです。 ところが、わたしたち人間は善悪、強弱、貧富、賢愚・・・幸・不幸、天国・地獄、神・悪魔といった具合に白・黒をつけたがるわけです。 そういった二元論的考え方は、まさに考え方であり、実感するものではないのです。 実感できるのは程度の問題であり、程度の問題を計るには物差しが要るのです。 人間の欲望には限りがない原因がこの点にあることを認識しなければなりません。 わたしたちは誰でもお金持ちになることを欲しています。 わたしたちは誰でも貧乏にならないことを欲しています。 お金持ちと貧乏の判断はどうして為されるのでしょうか。 ある人は百万円を持ったらお金持ちになったと思うが、別の人は一千万円を持ってもお金持ちになったと思わない。 更に、百万円を持ったらお金持ちだと思っていた人が、いざ百万円を持つに及ぶと今度は一千万円を持たないとお金持ちになったと思えないようになる。 人間の限りない欲望のメカニズムであります。 二元要因は、単なる観念であって実現するものではない。 二元要因は、程度の問題であって計る物差しが要る。 二元要因の程度を計る物差しには、量の多少を計る水平的物差しと、質の高低を計る垂直的物差しがある。 水平的物差しの代表に、心理的時間の矢つまり過去から未来に流れる、いわゆるわたしたちが普段「時間」と思っている実時間がある。 垂直的物差しの代表に虚時間がある。 水平的物差しで計る心理的時間、つまり過去から未来への流れの時間で以って二元要因である貧富の程度を計っているのが、普段のわたしたちであり、しかも貧富の二元要因を右か左という二律背反要因として「好いとこ取り」をしようとしているのです。 こういった錯綜した自己矛盾をしているのが、四苦八苦の悩みの原因であり、悩みの本質が自己矛盾によるギャップにあることを理解しない限り、四苦八苦の人生から解放されることはないでしょう。 水平的物差しも、垂直的物差しも、二元要因を計る物差しではありますが、水平的物差しで計るのが二元論的考え方を助長するのに対し、垂直的物差しで計るのが三元論的考え方に近づく方法であると言っていいでしょう。 |