Chapter 537 部分と全体

部分と全体。
わたしたちが存在している世界を次元で表わすと、この問題に行き着きます。
空間(立体)の三次元世界に時間という要因を加えたものが四次元時空間世界であると、アインシュタインが相対性理論の中で言った理由は、部分と全体という考え方を導入した結果だと考えたら理解できます。
わたしたちが、現実と思い込んでいる(物質)世界は三次元つまり縦X横X高さという三種類の要因で表現できる世界です。
わたしたちを生んだ地球は球−厳密には楕円球ですが−という立体で、その大きさを表現するには地球の半径をrとすると、rという一次元の線である半径で球の大きさを表現するだけではなくて、4πr2という二次元の平面である表面積で球の大きさを表現しなければならないし、更に(4/3)πr3という三次元の立体である体積で球の大きさを表現しなければ、最終的には球という表現をすることができません。
縦X横X高さで表現する立方体に対して、球ではrが縦であり、r2が縦X横であり、r3が縦X横X高さを表現しているから、球も立方体と同じ三次元立体だと言えるわけです。
つまり、わたしたちの生みの親である地球は三次元立体であるのですから、地球上に存在するわたしたちを含めてすべての物質も三次元立体であると言えるわけです。
従って、すべての物質を内包している空間は、部分と全体の関係で言うと、三次元より上のものでなければなりません。
地球が存在するためには、少なくともrという半径の線、4πr2という平面、(4/3)πr3という立体に相応した空間、即ち三次元空間が少なくとも必要です。
しかし、地球と太陽が存在する空間は、地球の半径だけでも、太陽の半径だけでも表現できません。
地球と太陽との距離をベースにした位置関係という要因を考慮しなければできません。
空間をすべての物質を内包する全体と捉えると、空間は三次元の更に上のもの、つまり四次元になります。
部分と全体の関係を表現するのに次元という考え方が極めて便利な点がここにあるのです。
二次元平面は、縦の線と横の線という二つの線で表現し、二次元平面の切断面には縦の線若しくは横の線が現れます。
三次元立体は、縦の線と横の線と高さの線という三つの線で表現し、三次元立体の切断面には、縦と横若しくは横と高さ若しくは縦と高さの平面が現れます。
次元をNという数字で代表すると、部分(切断面)がN次元なら全体は(N+1)次元になり、全体がN次元なら部分(切断面)は(N−1)次元になると言えるわけです。
わたしという人間が地球の部分だとすると、わたしという存在が三次元であり、わたしを内包する地球全体は四次元であるわけです。
そうしますと、地球という全体の中の部分であるわたしは、地球の中の日本列島の中の大阪という町の中の何丁目何番地という家の中のわたしの部屋の中のわたしに行き着くことで表現できるわけです。
ところが地球という全体の中の部分としてのわたしですから、それでは不十分であることがわかります。
Chapter533「現実とは」でお話しましたように、たとえわたしの部屋まで行き着いたとしても、わたし以外の他者はすべて過去のものであり、わたしと同時に存在確認することはできません。
太陽とわたしとの両方を確認するには、8分の時差があることを把握しなければならない。
わたしの部屋にある1メートル離れた机とわたしの両方を確認するには、0.000000003秒の時差があることを把握しなければならないのです。
わたしという部分と、地球という全体の間に同時性を導入しない限り、地球という全体の中のわたしを確認することはできないのです。
つまり、地球という全体の中の部分であるわたしは、地球の中の日本列島の中の大阪という町の中の何丁目何番地という家の中のわたしの部屋の中の2004年8月26日午前3時16分42秒まで行き着かないと表現することはできないのです。
地球という全体の中のわたしという三次元立体を表現するには、空間に加えて時間という要因を加えなければできない。
従って、わたしという三次元立体の部分にとっての地球という四次元全体は、立体(空間)+時間ということになる。
地球と太陽の関係、太陽と銀河との関係、銀河と150億光年の全体宇宙との関係・・・と、部分と全体との関係も同じように無限に続くのです。
部分が三次元空間なら、全体は四次元時空間となる所以であります。
わたしたちが生きている世界が、三次元空間であり且つ四次元時空間であると言うのは、部分と全体の相対性を表わしていることに外なりません。