Chapter 540 生きている意味

『今、ここ』にいることによって、わたしたちは生きています。
ところが、『今、ここ』は静止しているわけではなく常に未来から過去へと変化して行きます。
わたしたちが運動の光と音(喧騒)の宇宙に存在している限り、運動・変化が原理・原則であり、運動・変化するから自他の区分けができ、自己という(部分)意識が誕生したわけです。
しかし、生きているということは実在していることであり、実在するということは、宇宙全体と一体になっていることに外ならないのです。
意識(Consciousness)は、顕在意識(Consciousness)、潜在意識(Sub-consciousness)、集合意識(Super-consciousness)といった三つの層に分かれていて、自他の区分けをしているのが顕在意識(Consciousness)であり、自他の区分けをしないのが集合意識(Super-consciousness)であり、顕在意識(Consciousness)と集合意識(Super-consciousness)の間を橋渡ししているのが潜在意識(Sub-consciousness)に外ならないのです。
海の上に浮かんでいる島をイメージすればわかり易いのですが、島は決して浮かんでいるわけではなくて、海面下では陸地と繋がっています。
海面上に浮かんでいる島が顕在意識(Consciousness)。
島ではあるが海面下にあるのが潜在意識(Sub-consciousness)。
海面下で陸地と繋がっているのが集合意識(Super-consciousness)。
無意識(Unconsciousness)というのは、顕在意識の反義語であり、海面下にある意識を総称している概念だと考えたらいいでしょう。
島を形成しているものは、海面上だけではなく海面下にも及んでいるのが味噌であります。
島を形成しているのが、海面上だけで、海面下になった途端に陸地と繋がっていたら海は存在し得ません。
山が裾野で平地と繋がっているだけの陸地では海は存在しないのです。
しかも、海面上よりも海面下の部分が圧倒的に大きくできているのが島の本質であって、海面下部分より海面上部分が大きくなれば海は存在し得ないのです。
潜在意識(Sub-consciousness)の方が顕在意識(Consciousness)よりも圧倒的に大きい所以です。
海に浮かんでいる氷山ですら海面上よりも海面下の方が数倍大きいのです。
海面下の意識すなわち無意識は自他の区分けがない世界であります。
海と陸があってはじめて自他の区分けが生じる、ここにも運動の光と音(喧騒)の宇宙の二元論の法則が厳然と働いている。
そして二元論の法則が働く条件として、二元要因を橋渡しするニュートラルポイントが必ずある。
息という呼気と吸気の間に折り返し点というニュートラルポイントが必ずある。
山があるから谷がある、その橋渡しをする折り返し点というニュートラルポイントが必ずある。
海があるから陸がある、その橋渡しをする折り返し点というニュートラルポイントが必ずある。
島が顕在意識、陸地が集合意識に対し、島の海面下の部分が潜在意識であるのです。
運動している中で、静止ポイントである、『今、ここ』で生きているわたしたちが唯一集合意識と繋がっているのが、このニュートラルポイントである、島の海面下にある部分の潜在意識なのです。
五感が島を認識する顕在意識のアンテナであります。
「想い」が集合意識である陸地と、顕在意識である海面上の島との間を橋渡しする海面下の島である潜在意識のアンテナであります。
目が醒めている間でも、眠っている間でも、顕在意識も潜在意識も働いていますが、目が醒めている間は顕在意識の働きの方が潜在意識の働きよりも強いため、「想い」というアンテナより五感というアンテナが強く働き、眠っている間は潜在意識の働きの方が顕在意識の働きよりも強いため、五感というアンテナより「想い」というアンテナが強く働くのです。
潮の満ち引きと同じであり、潮の満ち引きが地球や月の重力に関係するように、眠りや夢と目が醒めている関係も重力に影響される所以であります。
夢を観ているのは、まさしく五感のアンテナより「想い」のアンテナが強く働いている状態であり、夢の方が、目が醒めている状態よりも大きな可能性を秘めた広大無辺な世界である所以であります。
更に、夢は眠っている間だけのものではなくて、目が醒めている間でも起こっていることの証明にも外ならないのであります。
熟睡状態でも、完全無意識つまり死の状態になっていなくて、視覚が強く働く、わたしたち人間の場合、視覚の機能だけが静止していて、聴覚などは無意識下でも働いているから、目覚まし時計で熟睡から目が醒めるのです。
生きているとはまさに集合意識と繋がっている島であることを意味しているわけで、死ぬとはまさに集合意識に溶け込み、島が消滅することを意味しているわけであります。
陸地に繋がっていない島などないのです。
つまり、わたしたちが生きているということは、『今、ここ』に生きていることに外ならないのです。
『今、ここ』に生きているのに、『今、ここ』に生きていることを自覚していないというギャップが生じる、そのギャップが四苦八苦や悩みの正体であります。
『今、ここ』に起きていることを100%受け入れたら、ギャップは生じないのです。