Chapter 546 相転移

自分という意識があって、自分が存在しないのが三次元世界であります。
自分という意識がなくて、自分が存在するのが五次元世界であります。
自分という意識があって、自分という意識がないのが四次元世界であります。
四次元世界は、自分という意識(エゴイズム)が消滅していく過程の世界であるわけで、まさに三途の川を渡る橋のようなものであります。
橋の上から三途の川を見ますと、時がもの凄い速度で流れている。
自分という意識がある三次元世界では、時がこんなもの凄い速度で流れていることに気づかず、自分が動いていると勘違いして生きている。
自分が動いていると思っているのは、時が動いているだけのことであって、動いている自分など存在していなかったことが、三途の川を橋の上から、時の流れを見ることでやっとわかって来るのです。
三途の川とは、まさしく三次元世界と別離する川であるのです。
わたしたちが普段生きている間は、三途の川に橋が掛かっていないのですが、肉体がいよいよ消滅する時期が近づいて来ると、自分という意識も消滅せざるを得ないので、橋が用意される。
自分という意識が消滅するための橋であるわけです。
橋の上に立って、三途の川を見下ろすことで、はじめて気がつく。
動いていたのは自分ではなくて、時が動いていただけだったことに気づき出すのです。
動いているとは、自分が動いていると意識することに外ならないことであって、自分がなければ動くものなどないのです。
自分とは部分である認識であって、全体に溶け込めば、部分という認識つまり自分という意識などないのです。
動いていると思うのは、時が流れているからであって、時が流れていると気づけば、動いている自分はないのです。
部分という認識をさせる張本人は時の流れであったのです。
それを気づかせてくれるのが、三途の川に掛かっている四次元世界である橋なのです。
わたしたちは生まれることによって生を得、死ぬことによって生を失う。
生とは、生まれるとは、自分という意識が誕生することに外ならないのであります。
肉体は変化するだけ−物理学では相転移といって、摂氏0度以下の水なら氷になり、摂氏0度から100度までの水が水であって、摂氏100度以上なら水蒸気になるが、H2Oという水には変わりない−であって、動くことによって肉体という全体から五感という部分の意識すなわち「想い」が生死を経験するだけなのです。
わたしたちの肉体は死ぬことで灰になり、大地である地球に戻ります。
部分から全体へ戻るのです。
生まれるということは、全体から部分への分離であって、死ぬとは部分から全体への回帰であるのです。
全体から部分への分離によって、動くという認識が生まれ、自分という肉体つまり五感と、自分という意識つまり「想い」が誕生したのであり、それこそがまさしく生の誕生であります。
部分から全体への回帰、つまり大地である地球に戻ることによって、動くという認識が亡くなることで、自分という肉体つまり五感と、自分という意識つまり「想い」が亡くなるつまり死ぬわけです。
生とは五感と「想い」の誕生であり、死とは五感と「想い」の死であるだけのことであり、全体である肉体と意識にとっては生死はないのであって、単に相転移を繰り返しているだけのことなのです。
運動の光と音(喧騒)の世界が三次元空間(部分)世界の全体宇宙であり、静止の暗闇と沈黙の世界が五次元全体世界の絶対宇宙であり、その狭間に相転移が起こるニュートラルポイントとしての四次元時空間世界の『今、ここ』が横たわっているのです。