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Chapter 547 静寂の世界(四元論五次元世界) 全体(Totality)世界と個別(Individuality)世界の決定的な違いは、静止の世界と運動の世界の違いであります。 静寂(Stillness)の世界と混沌(Chaos)の世界の違いであります。 静寂(Stillness)と混沌(Chaos)は二元要因ではなく、絶対一元要因であり、戦争をつくった人間の勝手な考え方である「戦争と平和」といった二元要因とは根本的に違います。 平和(Peace)という言葉は、ギリシャ語の平和(Pax)から来ており、パクス・ロマーナ(ローマ帝国の下の平和)という意味であります。 禅仏教で、“安心立命”という言葉があります。 立命とは、易学で、人生を自己ではどうすることもできないとする宿命−止まる命−と捉えずに、自己によって切り拓くことができる運命−動く命−と捉え、従って、自己の努力によって立ち上げていく命と捉える考え方であり、自力本願の禅仏教の基本であります。 この“安心立命”の境地こそ、静寂(Stillness)であると言えるでしょう。 静寂(Stillness)の(still)という言葉は、まさに静止という意味でもあります。 動くことが静寂(Stillness)を破壊する原因であり、静止することが、“安心立命”の境地であるのです。 光と暗闇。 音と沈黙。 これらを二元要因と捉えてきた、わたしたち人間は神の概念を造りました。 新約聖書のヨハネによる福音書の冒頭で書かれている、“はじめに言葉ありき”の言葉はまさしく音を意味しています。 “はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。 この言葉は、はじめは神と共にあった。 万物は言葉によって成った。成ったもので言葉によらずに成ったものは何一つなかった。 言葉の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった“ 暗闇の中で輝く光などあるでしょうか。 光の不在を暗闇と言うなら、暗闇の不在を光とも言えるでしょう。 静止の暗闇と沈黙の世界。 運動の光と音(喧騒)の世界。 これらは二元要因ではなく、静止の暗闇と沈黙の世界にあった唯一の力が、ビッグバンによって四つの力に分かれた結果、運動の光と音(喧騒)の世界が誕生したのですから、静止の暗闇と沈黙の世界が全体世界であり、運動の光と音(喧騒)の世界が部分世界であるのです。 光と暗闇は二元要因ではなくて、暗闇から光が生まれたのです。 音と沈黙は二元要因ではなくて、沈黙から音が生まれたのです。 音を音(喧騒)と言ってきた所以であり、拙著「心の旅の案内書」Chapter(13)「暗闇の本質」の中の(暗闇と友達になる)で、“Sound of silence”の詩を紹介しました。 Sound of Silence Hello darkness, my old friend (やあ! 暗闇という 古い友達) I've come to talk with you again (また 君と 話したくて やってきた) Because a vision softly creeping Left its seeds while I was sleeping (だって 眠っていると いつも そっと 寄り添ってくる 姿が 見える) And the vision that was planted in my brain (その 姿が 僕の あたまに 焼き付いて) Still remains within the Sound Of Silence (沈黙の音の中でいまでも 残っている) −From the song of SOUND OF SILENCE- “Sound of silence”沈黙の中の音こそ静寂の囁きであり、“Sound of sound”音の中の音こそ喧騒・混沌の音なのであります。 暗闇は光の不在であるのは、運動の光と音(喧騒)の世界での話つまり二元論的考え方の世界の話であり、光は暗闇から生まれたのであります。 “安心立命”とは、静止の暗闇と沈黙の世界である、五次元全体世界の境地と言っていいでしょう。 |