Chapter 548 『今、ここ』 の在り方・考え方

静止の世界である四元論(五次元)世界。
暗闇の世界である四元論(五次元)世界。
沈黙の世界である四元論(五次元)世界。
運動の世界である二元論(三次元)世界。
映像の世界である二元論(三次元)世界。
喧騒の世界である二元論(三次元)世界。
わたしたちの人生の旅は、宇宙と同じで円回帰によって完結します。
一元論世界から四元論世界にまで到達することが円回帰運動の完結であるのです。
N次元世界の運動は(N−1)元的であると申しました。
従って、運動とは考え方に外なりません。
N次元というのは在り方であり、N元論というのは考え方であります。
在り方は考え方でもあります。
考え方は在り方の断面だとも言えます。
わたしたちの一生は在り方を表現したものであり、わたしたちの、『今、ここ』は考え方を表現したものであります。
わたしたちの一生は真実であり、わたしたちの、『今、ここ』は事実であり、事実という静止画面一枚一枚を積み重ねたものが一生という真実であります。
従って、わたしたちの人生が真実のものであるかどうかは、『今、ここ』の事実を積み重ねているかどうかに掛かっています。
ところが、わたしたちはこのルールに従って生きていない、つまり二元論的考え方三次元的在り方ということは、一枚一枚の静止画面つまり、『今、ここ』に立つということであるのに、『今、ここ』に立っていない。
考え方と在り方が一致していないのであります。
わたしたちの人生を真実のものにするには、先ずわたしたちの人生を事実にしなければなりません。
つまり、『今、ここ』に生き切るしかないという考え方になることです。
現にわたしたちは、『今、ここ』を生き切っている、それがわたしたちの在り方に外ならないのです。
二元論(三次元)世界を生き切ることによって、わたしたちの円回帰の人生の旅は半分消化したことになります。
残りの半分を消化することで円回帰運動は完結するわけですが、わたしたちの人生が真実のものであれば、三元論(四次元)世界は手中にあるのと同然であることは、事実と真実の考え方と在り方でわかる筈です。
円回帰運動の最終完結に至るには、四元論(五次元)世界だけが残されていることになります。
『今、ここ』を生きるということは、二元論(三次元)世界の完結つまり考え方と在り方を一致させることに外ならないわけですが、それでもまだ人生という円回帰運動の半分を消化したに過ぎないのです。
『今、ここ』に立っていても、視点が水平的世界つまり二元論(三次元)世界に向いているからで、それが普段のわたしたちの在り方なのです。
『今、ここ』に立って、視点を垂直的世界つまり三元論(四次元)世界に向けることによって、残り半分の円回帰運動の段階に入ることができるのです。
わたしたちは、『今、ここ』に立っています。それが在り方です。
わたしたちは、『今、ここ』から二元論(三次元)世界に視点を向けている。それが考え方です。
『今、ここ』に立つ在り方と同時に、『今、ここ』に立つ考え方も一致させるべきです。
要するに、『今、ここ』に立っているのだから、『今、ここ』に立っていると思うべきなのです。
わたしたちは、『今、ここ』に立っているのに、過去や未来に立っていると思っているところが問題なのです。
円回帰運動という一生の完結をするには、静止の暗闇と沈黙の世界すなわち静寂の世界である四元論(五次元)世界に視点を向けた、『今、ここ』の在り方、考え方でなければならないのであります。