Chapter 549 本音(在り方)と建前(考え方)の一致

『今、ここ』に立てば、自他の区分けはなくなり、自分という意識つまり「想い」が消滅して全体意識になります。
しかし肉体は依然個別性(Individuality)を維持しているので、全体意識と言っても、集合意識(Super-consciousness)までは認識していないで、その手前の潜在意識(Sub-consciousness)までの認識で止まっているわけです。
過去や未来に「想い」を馳せている自分は、潜在意識(Sub-consciousness)という島が海面下にあって、顕在意識(Consciousness)という海面上の島だけを自分だと意識している状態であって、集合意識(Super-consciousness)との狭間にある潜在意識(Sub-consciousness)が却って邪魔をしている結果になるのです。
『今、ここ』にいることの難しさが、個別性(Individuality)の肉体に原因がある所以で、生きている中で、『今、ここ』を生き切ることに限界がある所以なのです。
『今、ここ』という唯一の現実とは、顕在意識(Consciousness)も潜在意識(Sub-consciousness)も集合意識(Super-consciousness)も同じであるという在り方と考え方の一致であることを言うのです。
海があって陸が生まれ、陸があって島が生まれ、島があって個別性(Individuality)が生まれ、島も陸も海も地球であることを忘れてしまう考え方になってしまったのです。
地球であって地球でなくなった時から、自分という部分と地球という全体の関係になり、地球は静止の暗闇と沈黙の全体世界となり、自分は運動の光と音(喧騒)の部分世界となったのです。
部分世界である限り、四苦八苦の世界が繰り広げられるのは、部分と全体の相対性から当然のことであります。
海の存在が区分けの原因であることは、意識を島と陸地で喩えたことでおわかりでしょう。
人間社会で差別が起き、挙げ句の果てに、支配・被支配の二元論世界に陥ったのは、まさに意識上の差別が生じたからであり、その根源には個別性(Individuality)の肉体、つまり顕在意識(Consciousness)という島を唯一の自分だとする点にあるのですが、それは海の存在が自他の区分けを生じさせた結果であるのです。
島の大小高低、陸の大小高低はすべて海の大小高低と深く関わっているのです。
わたしたちは夜空に浮かぶ月を眺めて、月にも島の大小高低、陸の大小高低があるのを知っています。
わたしたちの地球も同じなのです。
つまり在り方は同じなのです。
違うのは考え方なのです。
『今、ここ』の在り方は、月も地球も同じなのですが、地球を全体とし、自分を部分とした時から、『今、ここ』の考え方に違いが生じたのです。
在り方と考え方を一致させる、つまり本音と建前を一致させる本物の生き方をするには、部分の意識と同時に全体の意識も持たざるを得ないのです。
全体の意識とは四元論(五次元)世界を知るということに外なりません。