Chapter 550 五次元世界への登龍門

本音とは、その名の通り本当の音つまり自己の内なる声であります。
従って、建前とは、自己の内なる声を聞こえなくさせるもの、すなわち他人の声であります。
自己の内なる声に耳を傾ける生き方が、本音で生きることになる。
他人の声を気にする生き方が、建前で生きることになる。
他人を含めて自己以外のものはすべて映像であるにも拘らず、映像が発する音を気にして生きる。
これこそまさしく、夢を現実だと思い込んで、七転八倒している眠りの中の夢に外なりません。
眠りの中の夢は幸い、朝目が醒めることによって、それまで観ていた夢という映像が現実ではなくて、夢であったことを気づかせてくれます。
夢の真只中にいた時は現実だと思い込んでいたものが、目が醒めたら夢だったことを気づかせてくれる。
“ああ!あれは現実ではなくて、夢という映像だったのだ!”と胸を撫で下ろすのです。映像を恰も現実だと思わせるのが夢の正体であったのです。
夢の正体は、その姿を顕している時は夢だと気づかずに現実だと思い込ませる点にあります。
これは何を意味しているかと申しますと、現実だと思うことは夢だということに外ならないのであります。
わたしたちは目が醒めている間のことを現実だと思っていますが、現実だと思っていることは実は夢に外ならないのであります。
目が醒めて観ているのを映像ではなくて、現実だと思い込んでいるのは、まさに夢の中の眠りに外なりません。
現実だと思い込んで生きている世界が、実は夢の中で七転八倒している世界に外ならないのです。
七転八倒するのが夢の十八番の映画なのです。
映画とは、冒頭で申しましたように他者のすべてであります。
映画を観て七転八倒しているのが、他人の声を気にして建前で生きていることに外ならないのです。
夢を夢だと理解できることが、自己の内なる声に耳を傾ける本音の生き方の結果であるのです。
現実だと思い込むこと自体が七転八倒の原因であって、それを夢という映画であると理解することによって七転八倒の人生から解放されるのです。
わたしたちは四苦八苦の原因を、生老病死の四苦に加えて愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦の八苦が原因だと思ってきました。
しかし四苦八苦の原因は、そういった苦労の内容を追求する限り無尽蔵にあるもので、本当の原因はその内容にあるのではなくて、夢を現実だと思い込み錯覚する自分、つまり他人を気にする生き方そのものに原因があったことに気づかなければなりません。
自己の内なる声に耳を傾ける、すなわち本音で生きることこそが、四苦八苦の人生から解放されることであり、その登龍門が、『今、ここ』を生きると決断することであります。
そして登龍門の向こう側の世界こそ天国でも地獄でもない、単なる四元論(五次元)世界であるのです。
あらゆる錯覚から目を醒ますことが肝要です。