Chapter 601 高度自由社会への飛翔

地球上で生れたものは地球上で死ぬのが、運動の光と音(喧騒)の宇宙における全体と部分の相対性の法則であります。
地球上で生れたものは地球上の法則に則して地球上で必ず死ぬ。
つまりわたしたちはこの世に生れた限りは必ず死ぬのです。
はっきりしていることはこの事実だけであり、この事実はすべての意識下に格納されています。
顕在意識下であろうが、潜在意識下であろうが、集合意識下であろうが、この事実は格納されています。
部分という面では生死という現象で顕在意識下と潜在意識下に格納され、全体という面では相転移という現象で集合意識下に格納されているのです。
“自分”という意識があるのは顕在意識下と潜在意識下であるゆえ、生死という考え方になるだけであって、“自分”という個別意識が消滅する全体では、飽くまで相転移現象であります。
わたしたちは、生れたときから一本の綱の上を渡る人生がはじまり、死で以って綱渡りの人生を終えるのであって、その間の一生はまさしく綱渡りの連続であります。
うしろを振り返ってもバランスを崩して谷底に落ちる、前を見通してもバランスを崩して谷底に落ちる、プロの綱渡り師はうしろも見ない、前も見ない、ただただ『ここ』という足下に集中して、『今』という中でバランス棒のバランスを取る。
一瞬でも、『今、ここ』から意識を外すと、谷底に真逆に落ちるだけです。
ところが、わたしたちは、過去や未来に「想い」を馳せて生きるばかりの人生を送っている。
一体未来の何に「想い」を馳せているのでしょうか。
未来の究極にあるのは死です。
一体過去の何に「想い」を馳せているのでしょうか。
過去の究極にあるのは誕生です。
わたしたちは生死の合間で、思い煩い、取り越し苦労をしているだけであって、はっきりしているのは生死の問題だけであり、合間のことは所詮映像、所詮幻想に過ぎないのであります。
生死の問題さえ解決しておけば、その合間のことはすべて実体のない虚像であり、幻の想いであるのです。
生死の問題は、「夢の中の眠り」(VOLI)及び(VOLII)で検証しました。
実体のない虚像、幻の想いである幻想について、「夢の中の眠り」(VOLIII)で検証してみたいと思います。
つまりプロの綱渡りのテクニックを身につけるための学習と実践のコースであります。
真の自由とは、自分だけに与えられた使命という一本の綱を自由自在に渡ることのできるプロのタイトロープマンだけに与えられた勲章であり、その勲章とはまさしく生死の問題を解決することに外ならないのであって、高度自由社会とは真の自由を得たプロのタイトロープマンの社会のことであります。
はじめに、如何にわたしたちが実体のない虚像、幻の想いの幻想に振り回されているかを再認識するために、「夢の中の眠り」(VOLI)Chapter319〜322を暫くの間思い出して頂き、そのあとまた紙面でお会いしましょう。

Chapter 319  共産主義対社会主義

共産主義思想の原点は、古代共同社会(ゲマイン・シャフト)でありますが、実態はイギリス、アメリカが先鞭を切った資本主義思想に対するアンチテーゼとして、フランス革命によって誕生した社会主義思想がその背景にあったことです。
イギリスで起こった産業革命が大規模生産を可能にした結果、大資本家を生み、それに対峙して労働者階級をも生んだ。いわゆるブルジョアジーとプロレタリアートであります。
産業革命によってイギリスに資本主義思想の先鞭をつけられた結果、フランスやドイツはアンチ資本主義思想として啓蒙思想が誕生し、その延長線上に社会主義思想があったわけです。
従って、社会主義思想家たちにとって、資本主義思想の問題点を何とかえぐり出すことが命題であったわけで、資本家側に立った論理である資本主義に対して、労働者側に立った論理を展開していき、それが社会主義思想の根幹を成していったのです。
共産主義思想の原点は、古代共同社会(ゲマイン・シャフト)にあったのですが、フランスで起こった社会主義思想をベースに「資本論」を展開していったドイツのマルクス、エンゲルスは、それに正統性(レジティマシー)を持たせるために、当時同じドイツ人のフェルディナンド・テニエスが著した「ゲマイン・シャフトとゲゼル・シャフト」の主旨をゲマイン・シャフト(共同社会)の進化の結果、ゲゼル・シャフト(利益社会)が誕生していくと曲解して社会主義思想に付加した形での共産主義思想を打ち出したのです。
しかしテニエスはその著で、「共産主義をゲマイン・シャフトの文化組織として、社会主義をゲゼル・シャフトの文化組織として把握した」、つまり共産主義と社会主義は相克関係にあると述べているにも拘らず、マルクス、エンゲルスは社会主義を共産主義の進化したものと曲解して、テニエスが主張した社会主義の進化したのが資本主義であるという観点を覆い隠したことに気づかなければなりません。
資本主義対社会主義・共産主義が、20世紀の世界の対立軸として、二回に渡る世界大戦、及び冷戦が為されてきたと、わたしたちは考えてきました。
しかしながら、実は大いなる錯覚であったことを認識すべきであります。
真の共産主義思想とは、ゲマイン・シャフト(共同社会)に原点があるのです。
社会主義思想とは、ゲゼル・シャフト(利益社会)を原点とした中で、産業革命をきっかけに近代資本主義思想が誕生し、そのアンチテーゼとして生れた啓蒙思想の亜流資本主義思想として誕生したことを忘れてはいけません。
資本家階級の立場に立った資本主義に対して、労働者階級の立場に立った資本主義が社会主義であったのです。
マルクスの「資本論」というタイトルが、まさにアンチ資本主義思想の書であったわけで、理想の共産主義思想ではなかったのです。
マルクス、エンゲルスは、後にこの違いに気づいたようです。
マルクスはベルリン大学で法学を専攻して、その中で相続法も学んでいるにも拘らず、労働者階級対資本家階級の間で発生する剰余労働の搾取に重点を置いた「資本論」の展開は、彼が共産主義者ではなく、資本主義のひとつであるアンチ資本主義としての社会主義者であったことを示しているのです。
真の共産主義思想とは、ゲゼル・シャフト(利益社会)の前段階として人類百数十万年の歴史を持つゲマイン・シャフト(共同社会)に源流を持つことを、わたしたちは再確認しなければなりません。
マルクスやエンゲルスが原始共産社会について言及するのは晩年になってからであります。
アメリカ・インディアンのイロクォイ族を例にあげて、「その無邪気さと単純さにも拘らず、なんと驚くべき制度であろう、軍隊も憲兵も警察官もなく、貴族も国王も総督も知事も裁判官もなく、監獄も訴訟もなく、それでいて万事が規則正しくおこなわれる社会」と、『家族、私有財産、国家の起源』で言っておるわけです。
冷戦で敗北した共産主義は、似非資本主義であって、真の共産主義思想が資本主義思想に敗退したのではないのであります。
ゲマイン・シャフトとゲゼル・シャフトを対立軸と言うより、ゲマイン・シャフトとゲゼル・シャフトを超える人間社会を目差すのが21世紀ではないかと思うのであります。
テニエスが著した、「ゲマイン・シャフトとゲゼル・シャフト」の主旨も、その点にあったのではないかと思うのであります。
私有財産の問題よりも相続問題が、ゲマイン・シャフトとゲゼル・シャフトの違いの根幹であったのに、マルクスは相続問題よりも私有財産問題を重視したのは、やはり彼は似非資本主義である社会主義者であり、共産主義者でなかったことを証明しているのではないでしょうか。
動物の社会でも、古代の共同社会でも、アメリカ・インディアン社会でも、ボスは必ず存在します。
しかし、ボスはその精神的自立能力つまり後天的能力によってボスに君臨するのであって、肉体的自立能力つまり親から引き継いだ先天的能力によって君臨するのではないのです。
そしてボスという権力は、本人の努力によって勝ち獲られた、まさに私有財産そのものであるのですが、ただ相続つまり自分の子供に世襲しないのがゲマイン・シャフト(共同社会)の鉄則であるのです。
相続・世襲を認めるのが、ゲゼル・シャフト(利益社会)つまり、資本主義思想、社会主義思想であり、マルクス、エンゲルスが目差したのは、決して理想の共産主義思想の社会ではなかったのです。
イギリス・アメリカが先鞭を切った、産業革命による科学技術力も、また私有財産のカテゴリーに入っていたからであります。
相続の概念こそ、資本主義思想の根幹を成すものであって、マルクス、エンゲルスが否定した私有財産の概念は、ゲゼル・シャフト(利益社会)だけの十八番ではなくて、ゲマイン・シャフト(共同社会)にも存在した、人間本来の在り方であったのです。
私有財産が問題ではなくて、相続・世襲が問題なのです。
21世紀には、片をつけなければならない問題であります。