Chapter 602 似非近代から真の近代へ

「組織の時代から個人の時代へ」
二十一世紀のキーワードであります。
古代から中世を経て近代へと謳われた人類の歴史は、実は古代・中世・似非近代であって、決して真の近代ではなかった。
近代とは最も新しい時代のことであり、個人が真の自立と自由を獲得できる時代のことであります。
歴史上における古代・中世・似非近代は、一貫した支配・被支配構造の階級社会であって、本質的には何ら変わりのない時代でありました。
自由・平等・博愛をモットーにした社会主義革命が為されても、支配・被支配構造は維持されてきたのが似非近代から現代に至る社会であったのです。
最も新しい時代としての近代とは、これからやって来る高度自由社会であり、似非近代まで続いた支配・被支配構造の階級社会ではないのです。
社会主義革命は起こったが、共産主義革命は一度も起こっていなかったのですから、近代ではなく似非近代であったわけで、真の近代とは共産主義革命が起こったあとに実現する高度自由社会であります。
高度自由社会とは支配・被支配構造による階級闘争から解放された社会のことです。
似非近代での共産主義社会で起こった階級闘争が、亜流資本主義である社会主義であったことの証明であります。
個人の目覚めが急務です。

Chapter 320  近代科学的ゲマイン・シャフトの建設

イギリス、アメリカがリードする資本主義社会。
ドイツ、フランスがリードする社会主義社会。
18世紀にイギリスで産業革命が起こり、フランスで社会主義革命が起こったことが、このヨーロッパ世界を二分することになり、延いては世界を二分することになったと言っても過言ではないでしょう。
1世紀経た後、ロシアでそして中国で社会主義革命が起き、冷戦が終結するまで社会主義革命の嵐は世界に吹き荒れました。
保護主義政策がアメリカという国の本来の姿であったのが、冷戦が始まってからは、世界の警察国家と自称するようになったのも、世界に社会主義革命の嵐が吹き荒れたことが原因で、彼らからすれば社会主義革命という犯罪を取り締まる必要があったからであり、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争これすべて、世界の秩序を維持するためと詭弁を使っては、資本主義による世界支配を目論んできたわけです。
ヨーロッパ共同体(EU)にイギリスが絶対参加しないのは当然のことで、EUが経済共同体から政治共同体になったのは必然であったのです。
資本家階級つまりブルジョアジー側の立場に立った資本主義がイギリス、アメリカの自由主義的資本主義。
彼らは資本つまり生産手段(ハードウエアーとしての工場)が、資本主義の原点である商品生産の基本であると考えた。
労働者階級つまりプロレタリアート側の立場に立った資本主義がフランス、ドイツを中心とする社会主義的資本主義。
彼らは労働つまり生産手法(ソフトウエアーとしての労働力)が資本主義の原点である商品生産の基本であると考えた。
結局の処、利益を生もうとする姿勢においては同根であったわけで、資本主義とはゲゼル・シャフト(利益社会)そのものであったわけです。
相続法を学んだマルクスが、相続の概念が私有財産の概念よりも遥かに人間の欲望を逞しくさせることを理解していた筈なのに、私有財産の禁止に拘わったのは、生産手段であるハードウエアーとしての工場を私有財産と考え、生産手法であるソフトウエアーとしての労働力を私有財産と考えずに公有財産と考えていたからでしょう。
そして公有財産を管理する組織が労働組合であり、労働組合の幹部こそが共産党の幹部であり、国営企業であり、官僚機構であり、特権階級集団(ノーメンクラツーラ)であったのです。
平たく言えば、無い者の妬み、やっかみが高じたのが社会主義であり、マルクスやエンゲルスがイギリス人やアメリカ人でなくて、ヒットラーと同じドイツ人であったことは必然であったのです。
そしてこの特権階級集団自体が、絶対的世襲制であったからこそ、マルクスは私有財産を禁止はしても、相続の禁止を主張しなかったのでしょう。
つまり資本主義は個人が利益をあげる手法であるのに対し、社会主義は集団で利益をあげる手法であるだけで、利益社会であることには変わりはない。
個人であっても、集団であっても、権益を相続することにおいては、お互いに異論はなかったと言えます。
日本の官僚が、「省あって国なし」という、とんでもない考えを当り前だと思っているのは、集団(組織)の利益を第一義に考えているからで、マフィアや暴力団の思想と何ら変わらないのであります。
個人の利益を維持するか、集団(組織)の利益を維持するか、どちらが性質(たち)が悪いか、言うまでもありません。
性質(たち)のより悪い方が、先に天罰を下されただけのことであり、性質(たち)の悪い本質は、両方とも変わらないのです。
そして、性質(たち)の悪さのバロメーターが相続意識、世襲意識の強さとして表れるのです。
政治家の世襲は当然の世の中でありますが、いずれ官僚の世襲も当然の世の中に、このままゆけばなるのは必定であります。
官僚の子供たちは親の姿を見て、猛勉強をして一流大学から第I種国家公務員(上級試験)を目差しているのですから。
ソ連が崩壊したのと同じ現象が、この国にも、間もなくやってくるでしょう。
ロシアの国民がソ連崩壊後どれだけ疲弊してきたかを思い起こすと、わたしたちは一日もはやく悪夢から目を醒ますことが急務ではないでしょうか。
そして、科学を駆使した近代的ゲマイン・シャフト(共同社会)の建設の一歩を印すべきではないでしょうか。
そのためには、わたしたちひとりひとりが知性に依る判断ではなくて、理性、更には悟性に依る判断をしなければならないのです。
近代的ゲマイン・シャフト(共同社会)を建設するには、ひとりひとりの悟性を向上させるしか道はないのです。
科学と哲学の統合が急務であります。