Chapter 604 一元論・共同社会と三元論・共生社会の違い

共産主義と社会主義を同一視してきた二十世紀の世界でした。
共産主義の原点はゲマイン・シャフト(共同社会)であるのに対し、社会主義の原点は資本主義と同じゲゼル・シャフト(利益社会)であることは、マルクスもエンゲルスも当初気づいておらず、自分たちが「資本論」で主張しているのは資本主義と同じ利益を追求する社会であり、ただその中心に資本家(ブルジョアジー)を置かずに労働者(プロレタリアート)を置いただけのものである、すなわち社会主義であったわけで、純粋な共産主義とは遠くかけ離れたものであったことに気づいたのは晩年のことでした。
アメリカ・インディアンのイロクォイ族を例にあげて、「その無邪気さと単純さにも拘らず、なんと驚くべき制度であろう、軍隊も憲兵も警察官もなく、貴族も国王も総督も知事も裁判官もなく、監獄も訴訟もなく、それでいて万事が規則正しくおこなわれる社会」と、『家族、私有財産、国家の起源』で言っておるわけです。
共産主義と社会主義の決定的な違いは、私有財産の問題ではなくて、相続・世襲の問題であるのです。
私有財産を禁じて相続・世襲を認めるのが社会主義であります。
そうすれば、有形のモノの相続は不可能−私有財産を禁じれられているから−ですが、無形の権力の相続は世襲によって可能になり、延いてはモノの相続を可能にしているわけです。
昨今大きな事件になった西武鉄道の株式問題は、堤一族の無形の権力の世襲−株式譲渡による−によって有形のモノ−西武鉄道が保有する巨大な不動産−の相続をしようとした、まさに社会主義の盲点を付いた事件であったのです。
有形のモノの私有財産を相続すると相続税が掛かり、何代かのうちに相続税で消滅するのを、有形のモノを所有する法人の無形の権力を世襲することによって食い止めようとしたのです。
人は必ず死にますが、法人は倒産しない限り死なないわけで相続税とは無縁です。
マルクスが私有財産を禁じても相続・世襲を禁じなかったのは、彼の狙った社会が共産主義社会ではなく社会主義社会であった証明であります。
その物的証拠として世襲を認めた特権階級(ノーメンクラツーラ)が存在していた。
つまり資本主義と同根であったのです。
真の共産主義社会とは、私有財産を禁ずる社会ではなく相続・世襲を禁ずる社会であることは、他の生き物のボスが私有財産つまり餌を食べる優先順位と、メスを独占する権利を所有しても、自分の子供にボスを譲る権利は所有していない点でも明白であります。
二十一世紀こそ真の共産主義社会を目差す世紀であり、真の自由社会つまり高度自由社会とは、一元論的ゲマイン・シャフト(共同社会)ではなくて、三元論的ゲマイン・シャフト(共生社会)であるのです。

Chapter 322  昴(すばる)の冬

河川敷舞台で踊り狂う河原乞食と、河川敷観客席で搾取されている一般大衆(マス乞食)との関係が、宗教の世界では教祖と信者の関係であり、資本主義経済の社会では供給者側と需要者側の関係−景気は供給と需要の関係で決まるという資本主義の論理は真っ赤な偽りであり、常に供給者側の論理が支配的であるのが資本主義そのものの思想である−であり、社会主義経済の社会では特権階級側と一般労働者−資本主義社会で組合組織つまり幹部と一般組合員という関係で残像しているのは、社会主義とはまさに資本主義の妬み心理から発生した同類であることを物語っている−の関係であり、中世世界での王家・祭祀側で構成する荘園制度の地主側と肉体労働を切り売りする小作農民との関係であり、古代社会での奴隷支配者側と奴隷の関係に外ならないのであります。
結局の処、人類の文明は古代、中世、近代と恰も進化したかの如く思われ勝ちでありますが、根っこのところでは何ら変わっていないのです。
やはりここにもエネルギー保存の法則が厳然と働いているようです。
エネルギーの総量は不変であり、ただ使用不可能なエントロピーに変位しているだけのことなのかも知れません。
そうしますと、ますます使用不可能なエネルギーであるエントロピーが蔓延しているのが現代社会であり、河原乞食といった偽物が横行しているのは、エントロピーの増大現象と捉えるべきなのでしょう。
世襲制度によって、有形財産のみならず本来相続不可能な無形財産まで相続している政治家・役人・教育者・医者・宗教者そしてその末端に座る河原乞食と共生関係で構成されているマスメディアの連中たちは、まさに増大した使用済みエネルギーのエントロピーであるのです。
自然世界の法則に、「強者(勝者)必衰の原理」というものがあります。
嘗て恐竜時代、恐竜が滅亡したのは、余りにも彼らが強過ぎて、結局最後は共食い状態になって滅亡していった。
エントロピーは希少である内は存在価値も見出すことができるのですが、エントロピーで埋め尽くされたら、恐竜の共食いと同じ現象が起きるのは必定であります。
資本主義社会が成り立つのは、資本家側が希少である間だけであります。
世襲・相続制度によって、ねずみ講式に資本家側が増大すれば、エントロピーが極大化していくのと同じ現象が起こるのは当然で、使用可能な有用エネルギーは枯渇してゆく結果、強者(勝者)必衰の原理が働くことになります。
20世紀末から21世紀初頭の現在は、まさにこういった現象が随所で表れていると言えるのではないでしょうか。
この問題を解決する方法は、やはり自然世界の法則の中にあります。
「食物連鎖の原理」がそうです。
数の少ないライオンは数の多いシマウマを食べ、数の多いシマウマは草を食べ、草は死んだライオンの肉体を肥料にする。
ライオンが滅亡すればシマウマは無尽蔵に増え、彼らは草を食い尽くし、草原は砂漠化し、結局ライオンもシマウマも草も滅亡する。
そのバランスを維持するのが、「食物連鎖の原理」であるわけです。
エントロピーが増大すればバランスが崩れ、「食物連鎖の原理」が崩れ、世界は一気に砂漠化に進みます。
このアンバランスを生み出す最大の原因が、拝金主義であり、世襲・相続の概念であるのです。
世襲・相続の概念は拝金主義思想のドグマ(教義)であることを認識すべきであります。
しかし現在の時代の真暗闇は夜明け前の現象であり、夜明けは間もなくやってくるでしょう。
文明の一周期は、一昴(すばる)とChapter280で申しました。
1万数千年ぶりにフォトン・ベルトに突入した太陽系惑星群。
わたしたち人類の文明の周期である一昴(すばる)の冬に差しかかっているのが2010年前後の現在であるかも知れません。