Chapter 606 地球の手術が始まる

全体と部分の相対性の法則は静止と運動の法則と言い換えてもいいでしょう。
ビッグバンによってわたしたちの宇宙が誕生したのも、静止の暗闇と沈黙という全体から部分としての運動の光と音(喧騒)の宇宙が分化しただけのことであり、全体から部分が分化することが、運動を開始することに外ならないのです。
全体だけで存在するとそこには運動はない。
つまり静止とは全体の本質であるということです。
全体から部分が分化することで運動が始まる。
つまり部分とは運動の本質であり、変化の本質であるということです。
人生の四苦八苦や悩み・心配ごとといったものは変化が原因です。
昨日も今日も明日も全く同じで変化がなかったら、四苦八苦や悩み・心配ごとなど起こるべくもない。
病気とは健康が変化しただけのことであり、昨日も健康、今日も健康、明日も健康で変化がなければ、苦労など起こるべくもない。
逆に言えば−ここが大事であり、二元論の本質である−、健康とは病気が変化しただけのことであり、昨日も病気、今日も病気、明日も病気で変化がなければ、これまた苦労など起こるべくもない。
健康と病気を繰り返すつまり変化するから苦労が生じるのです。
ずっと同じ状態であれば、それが当たり前になってしまい、苦労とは感じなくなるのです。
苦労とは感じることであり、五感と第六感である「想い」の為せる業であるのです。
肉体と意識という全体だけの世界では、四苦八苦や悩み・心配ごとなど無縁なのです。
わたしたちが人生において四苦八苦したり、悩んだり、心配ごとをするのは、自己の身体を全体と捉えずに部分として捉えているからであります。
自己の身体を全体と捉えれば、自然治癒力が発揮され、四苦八苦・悩み・心配ごとなど雲散霧消してしまいます。
どこか悪い箇所があるから病気だと思うわけで、まさに部分としての意識が強くなり過ぎた結果であるのです。
心臓が普段の調子−「普段の運動」−だと動悸は聞こえないのに、心臓が激しく動くと−「激しい運動」−動悸が聞こえるのは、全体の意識でいれば動悸が聞こえないが、部分の意識でいれば動悸が聞こえるのです。
地球もわたしたちと同じで、全体の意識であれば、「普段の運動」をしているわけで、動悸が聞こえないのですが、つまり人間が変なことをしていることに気づかないのですが、部分の意識であれば、動悸が聞こえ、人間が変なことをしていることに気づく結果、「激しい運動」に変化する、それが地震であり台風であり、人間にとっての自然災害になるのです。
地球も、全体と部分の相対性の法則の中で、全体と部分の役割を果たしているのであって、わたしたち人類にとっては地球は全体であり、地球にとってはわたしたち人類は部分であるのです。
全体にとって、部分が変なことをすれば全体に支障を来すから、最初は修理しようとするが、修理が無理なら除去しようとします。
わたしたちの身体も、変なことをする器官があったら、最初は治療しますが、治療が無理なら除去手術をします。
しかし部分は運動・変化がその本質であるのですから、いつか必ず全体から除去手術を受ける運命(さだめ)にあるのです。つまり部品の交換作業に外ならないのです。
人類にとっての地球は全体でありますが、太陽にとっての地球は部分であります。
全体から部分が分化するのが生の誕生であるなら、全体から部分の除去作業が死であるのです。
全体と部分の相対性の法則は、生死の運命(さだめ)を示唆しているのであります。
わたしたち人類は、全体である地球から除去手術を受けるかどうかの最終検査をされているように思えてなりません。
除去手術が遅れてしまえば、全体である地球の命取りになる。
そうなれば、地球が全体である太陽から除去手術を受ける破目になる。
地球は人類ほど愚かでないから、適正な時期に患部の除去手術を必ずするでしょう。