Chapter 611 夢の質は現実の質よりも重要

毎日眠りに就く前に、一日の出来事を最も新しい記憶つまり、つい先程まで、『今、ここ』だった最新情報である出来事から、その日の朝目が醒めた瞬間(とき)の出来事までを時間を逆向きにたどって思い出す作業をすることによって、一日で溜り込んだ心の埃や垢を取り除くことができます。
蓄積された記憶の一番表面に居座る筈の最新記憶が、心の埃や垢となってぺったりくっつかない前に剥がすことをしておく。
この作業を日々継続することで、記憶の大半は蓄積されないようになり、その内にこの作業をする前まで蓄積された古い記憶は、古い瘡蓋の埃や垢となってポロリと剥がれてしまいます。
そうしますと、夢を観なくなることが多くなります。
夢の正体は記憶ですから、記憶がなければ夢も観ません。
眠りに就いた途端、朝目が醒めた瞬間(とき)になっている経験が子供の頃に誰もがあるのは、熟睡だけをして夢を観ていなかったからで、それだけ子供の記憶の蓄積量が少ないからです。
最終的には一切夢を観なくなる筈なのですが、やはりわたしたちは生身の人間ですから徹底することは難しい結果、夢を観なくなることが多くなる程度で収まってしまいます。
しかし夢の質が変わるようになっていきます。
夢を観ている間は夢と思わずに現実だと思っていたことが、夢を観ている真最中に、『これは夢なんだ!』と思えるようになります。
悪夢を観て七転八倒するのは夢を現実だと思っているからであり、夢を夢だと思えたら七転八倒して一喜一憂することはありません。
夢から醒めてはじめて、『ああ、あれは夢だったんだ!ホッ!』と胸を撫で下ろす日々を送ってきたわたしたち。
夢から醒めても夢の出来事を所謂現実まで引き摺り、むしゃくしゃ、いらいらの人生を送ってきたわたしたち。
夢を夢だと思えることで、むしゃくしゃ、いらいらの人生と別離することができるようになり、自由自在の人生を送ることができるようになり、畢竟、『今、ここ』を生きることができる人生になるのであります。
何故ならば、目が醒めている人生を現実だと思って想い悩み、四苦八苦しているわたしたちですが、現実だと思っていることは夢だと思えるようになるからです。
目が醒めている間のことを現実ではなくて所謂現実と申してきました所以であり、所謂現実も夢の延長線(戦)であるとも主張してきました所以でもあります。
所謂現実のことも、毎朝目が醒めて、『ああ、あれは夢だったんだ!ホッ!』とする瞬間(とき)と同じ瞬間(とき)が“いつか”やって来る。
その“いつか”はいつでしょうか。
ひょっとしたら死ぬ瞬間(とき)が、その“いつか”かも知れませんが、死んだ経験がないので何とも言えません。
ひょっとしたら、『今、ここ』こそが、その“いつか”かも知れません。
死も、『今、ここ』も真の覚醒状態なのかも知れません。