Chapter 612 シンプルな社会

神はどのようにして人間の手によって創られたのでしょうか。
他の生き物には神の概念はまったく無いのでしょうか。
他の生き物つまり野生の生き物の本性は外敵に対する警戒心に凝縮されています。
彼らが本能として有している中で、食欲よりも、子孫保存欲よりも遥かに強いのが自己防衛本能であります。
自然の中で生きている彼らを観察してみると、気が重くなるほど強い警戒心を持っていることに気がつく。
生まれたての赤ん坊まで強い警戒心を具えている。
自然に対する畏怖心がその原点にあるからです。
自然が織り成す循環の法則が生き物のレベルに落ちると、食物連鎖の法則になる。
つまり宇宙の円回帰運動こそが自然の食物連鎖の法則の原点にあり、食物連鎖の法則を発揮する自然が外敵の正体であることがわかってきます。
シマウマにとっての当面の外敵はライオンですが、その背後に控える自然こそが警戒心の究極的な対象であり、それが畏怖心になっているのです。
宗教が発生する前に信仰が先にあったと、人類の歴史と共に歩んできた宗教の歴史について論じました。
人類にとっての信仰心こそが他の生き物にとっての畏怖心に外ならないのであり、その対象は自然であり、その根拠は自然が織り成す食物連鎖の法則つまり円回帰運動にあるのです。
神の存在理由は円回帰運動つまり運動することであり、運動の光と音(喧騒)の宇宙に限定された概念であるのです。
静止の暗闇と沈黙の宇宙では、神の概念は存在し得ないのです。
神の原点は宗教にあり、宗教の原点は信仰にあり、信仰の原点は自然崇拝にあり、自然崇拝の原点は自然が織り成す食物連鎖の法則にあり、食物連鎖の法則の原点は(円回帰)運動にあり、運動の原点は有限世界にあり、有限世界の原点は部分にあって全体ではない。
従って、神の原点は部分にあって全体ではないということであり、天地創造主にはなり得ないということです。
ハイゼンベルグの不確定性原理も、アインシュタインの相対性理論も、神の原理も、みんな当たり前のことをややこしく複雑怪奇にしているだけのことであります。
動いていたら止まっていない。
止まっていたら動いていない。
こんなことは疑問の余地がない当たり前のことです。
それを難しく理論立てて数式で言っておるだけのことです。
当たり前のことを当たり前のようにやっておれば、不確定性原理も相対性理論も神の原理も無用の長物なのですが、当たり前のことを当たり前のようにやっていないのが、わたしたち人間であって、他の生き物はやっているのです。
宗教も科学も政治も経済も、当たり前のことを当たり前のようにやっておれば無用の長物なのです。
似非共産主義であり、資本主義思想の亜種である社会主義思想を生んだマルクスが、『家族、私有財産、国家の起源』でアメリカ・インディアンのイロクォイ族を例にあげて晩年に言った、『その無邪気さと単純さにも拘らず、なんと驚くべき制度であろう、軍隊も憲兵も警察官もなく、貴族も国王も総督も知事も裁判官もなく、監獄も訴訟もなく、それでいて万事が規則正しくおこなわれる社会』こそが、当たり前のことを当たり前のようにやっておる社会であり、その社会では宗教も科学も政治も経済もまったく無用なのです。
守るべきことは運動の法則だけであるシンプルな社会が原点なのです。