Chapter 613 生き甲斐

運動の法則に沿って生きているわたしたちは創造性を本質として内在しています。
運動の方程式:F=mα
Fは力(Force)
αは加速度(acceleration)
mは質量(mass)
これは何を表わしているのか。
力と加速度は関数(相対関係の数)であって、質量は定数(独立した数)であることを示しています。
つまり力や加速度よりも、はじめに質量ありきを示唆しているのであります。
質量とは物質のことでありますから、宇宙ははじめに物質ありきであったことを示唆しているのです。
静止の暗闇と沈黙の宇宙では意志という唯一の力が存在していたが、ビッグバンによって重力・強い力・弱い力・電気の力の四つに分化した結果、運動の光と音(喧騒)の宇宙が誕生した。
意志という唯一の力が意識という全体であると言ってもいいでしょう。
物質が肉体という全体であると言っていいでしょう。
肉体と意識は全体の概念であり、五感と「想い」は部分の概念であります。
全体とは静止のことであり、部分とは運動のことであると言ってもいいでしょう。
意識は唯一の力ですから静止している。
「想い」は四つの力(複数)ですから運動している。
意識と「想い」を把握するのが困難である所以です。
五感が肉体の一部であって、肉体がはじめにありきであることは誰でも納得できます。
「想い」が意識の一部であって、意識がはじめにありきです。
魂や霊や精神や心は「想い」であって、意識ではありません。
情報化時代の用語で言えば、肉体がハードウエアーであり、意識がソフトウエアーであると言えばわかり易いでしょう。
五感がハードディスクやCDやMDやフロッピーディスクといったIO(Input&Output)装置であり、「想い」がその中身であるコンテンツと言えばわかり易いでしょう。
コンピュータがはじめに誕生したのは真空管の電子計算機というハードウエアーでした。
何故コンピュータというハードウエアーが誕生したか。
第二次世界大戦で連合軍がナチスドイツによって占領されたパリを奪回するためにノルマンディーという海岸から上陸する作戦を立てた。
ノルマンディーの海岸線にはナチスドイツ軍が連合軍を待ち受けている、そんな中で何十万という兵隊を無事上陸させなければならない。
犠牲者が出るのは仕方ないが、できるだけ少なくしたい。
そのためには如何なる方法で上陸したらよいのか連合軍は考えた。
OR(Operation's Research)という学問がここから誕生したのです。
交差点の信号が系統式と書かれてあるのを見られたことがあるでしょうが、ORによって渋滞を防ぐベストな方法を考えた結果が系統式となっているのです。
このORという考え方がソフトウエアーの原点だったのです。
ニーズがソフトウエアーの原点であったわけです。
そうしますとハードウエアーよりもソフトウエアーの方がはじめにありきだとも言えます。
肉体と意識の関係は切っても切り離せない関係であることは確かであります。
従って、物質(m)とは肉体と意識を包含していると言えます。
新約聖書に、“はじめに言葉ありき”とあるから、はじめに意識があったかのように思われ勝ちですが、わたしたちが何かを思うような意識ではありません。
意志という唯一の力と申しましたのも、静止した状態を保つから意志であるのです。
魂や霊や精神や心というのは、飽くまで運動するのが前提条件ですから、静止している意識ではなく、部分として運動している「想い」であるのです。
ここのところを理解するには、脳味噌に大量の汗を掻く必要があります。
脳味噌に大量の汗を掻くことによって、創造力が養われるのです。
自己の使命を発見することでしか、創造力を発揮することはできません。
自己の使命に沿って生きるしか、生き甲斐のある人生を送ることはできません。
生き甲斐のある人生を全うしてはじめて、死を迎える心の準備ができ、そして静止の暗闇と沈黙の宇宙である全体に回帰することができるのです。
お金持ちになる、出世するといった結果志向のこの世的成功では、「想い」が意識に回帰することは出来ないのであります。
使命とは結果志向ではなく、運動の本質である過程志向であることを自覚しなければなりません。
ハイゼンベルグの不確定性原理が言うように、“位置(結果)を確定したら、運動量(過程)は確定できない。運動量(過程)を確定したら、位置(結果)は確定できない”のであります。
使命とは過程であって、この世的結果ではないのであり、創造性とは過程すなわち運動の本質であり、生きているとはまさに運動の本質であるのです。