Chapter 615 分水嶺に立つ人類

わたしたちの悩みの原因は蓄積された記憶つまり心の埃・心の垢という過去・未来情報に外なりません。
高度情報化社会が二十一世紀にやって来ると言われており、現代社会でも既に情報が氾濫しています。
高度情報化社会の高度とは単に情報量の大きさ・多さだけを意味しているように思えてなりません。
情報の中身つまり量ではなくて質に対する度合を高度と言うのであることを忘れてしまっているように思えてなりません。
拝金教の神であるお金の価値が質にあるのではなくて量にあることと深く関りがあるのです。
“質よりも量”という拝金主義的考え方がわたしたちの価値観の根底にあるからでしょう。
拝金主義的考え方に価値を見出している限り、高度情報化社会ではなく低度情報化社会にますますなって行き、悩みはますます多くなって行くことでしょう。
「高い・低い」という言葉は質の程度を表わすものであり、量の程度を表わす言葉は「多・少」若しくは「大小」であります。
現代社会で使われている高度情報化社会という言葉の真の意味は、高質情報化社会ではなくて、低質大量情報化社会であり、悩み四苦八苦社会と言っても過言ではありません。
現代社会の子供たちの最大の遊び道具であるテレビゲームとゲームソフトは、まさに低質大量情報であり、現代社会の麻薬と言っても過言ではない。
ドラッグという有形の麻薬は禁止されているのに、ゲームという無形の麻薬は野放しにされている。
政治家の了見は一体何処にあるのでしょう。
彼らの了見が拝金主義にある限り、拝金主義に溺れている企業がばら撒く麻薬を厳しく取り締まることは期待できないでしょう。
麻薬常習者の行き着く先は凶悪な犯罪であります。
凶悪な犯罪の定義とは、無意識の中での連続性犯罪行為のことであります。
意識してする犯罪行為は、意識することで止めることができるから更正する可能性があるが、無意識の中での犯罪行為は罪意識がないから更正する可能性がまったくなく、従って犯罪の連続性を誘発する。
凶悪の根拠であります。
無法社会がやって来ると申しました所以であります。
無法社会とは組織が機能しない社会です。
国家・企業・家庭が機能しない社会です。
無法社会の中で生きて行くには、自分のことは自分で守るしか方法はない。
組織の時代から個人の時代になって行く所以であります。
個人が意識して生きる、目覚めて生きることが決定的な要因になります。
意識して生きる、目覚めて生きる個人が増えていけば、無法社会は自ずから高質情報化社会つまり高度自由社会になって行くことでしょう。
わたしたちは今、その分水嶺に立っているのです。