Chapter 617 生きることに暇な人間

「在り方と考え方の法則」は「二元論の法則」とも「全体と部分の相対性の法則」とも共通項を持っています。
「二元論の法則」における生・死二元は、「全体と部分の相対性の法則」では生が部分表象であって、死が全体表象であるわけで、「在り方と考え方の法則」では生は部分の表象であり考え方の表象である、死は全体の表象であり在り方の表象であります。
わたしたち生ある者が在り方に気づかずに考え方に執着する理由がここにあり、死を怖れる理由もここにあります。
考え方に執着し、死を怖れる余り、輪廻転生の考え方を捏造してしまったのです。
死ねば考え方は消滅して在り方だけになり、部分ではなくて全体に回帰するのであるのですから、輪廻転生など無用の長物であるのです。
ところが死の恐怖の根源に気づいていないから、畢竟死んでも考え方を維持したいとまたまた考えるという鼬ごっこをする結果、輪廻転生の考え方を捏造し、挙げ句の果てに、肉体が消滅するのは仕方ないからと相続・世襲の考え方をまたまた捏造しているのが愚かな、この世的成功を収めて四苦八苦どころか千苦万苦している人間なのであります。
考え方であるお金や財産を死んでも維持していたい思いから、輪廻転生と世襲・相続の考え方が結託して捏造され系統化されたのが拝金主義思想であります。
すべては無知蒙昧さから起こる錯覚であります。
気狂いは自分が気狂いであることを思い出すことができません。
無知蒙昧な人間は自分が無知蒙昧であることを思い出すことができません。
夢を観ている人間は自分が夢を観ていることを思い出すことができません。
若し夢の中で夢を観ていることに気づいたら夢は消滅して目が醒めます。
若し自分が気狂いや無知蒙昧であることに気づいたら気狂いや無知蒙昧は消滅します。
気狂いは自分を正常だと思い込み、無知蒙昧な人間は自分を賢いと思い込んでいるのです。
本当に正常な人間は自分が気狂いであり、無知蒙昧であることに気づくのです。
本当に目醒めている人間は自分が夢を観ていることに気づいているのです。
目醒めている人間は、生きている間に所有しているものを相続・世襲するような発想にはなりません。
目醒めている人間は、生きている間に輪廻転生するような発想にはなりません。
そんな暇があったら、『今、ここ』を生きています。