Chapter 619 人類は死体状態

わたしたち人間以外の生き物の世界は善悪の区分けがない、つまり二元論の概念がない世界であり、常に全体と一体でいる、つまり全体と部分の相対性のない世界であり、在り方だけで生きている、つまり在り方と考え方という重畳性もない絶対一元世界であります。
別の言い方をすれば、絶対一元の世界とは自己がないゆえの自己矛盾のない世界であり、わたしたちの世界は自己があるゆえの自己矛盾の世界とも言えるでしょう。
善であり且つ悪でもある善悪の二元概念そのものが、自己があるゆえの自己矛盾であります。
全体であり且つ部分でもある全体と部分の相対性の法則そのものが、自己があるゆえの自己矛盾であります。
在り方と考え方が重畳することそのものが、自己があるゆえの自己矛盾であります。
絶対一元世界は自己がないゆえの自己矛盾のないまさに静止の暗闇と沈黙の世界であります。
静止の世界であり、静止画一枚一枚の世界観であり、『今、ここ』の世界であります。
一方、わたしたち人間は三面性の世界、自己があるゆえの自己矛盾の世界、運動の光と音(喧騒)の世界、静止画を何枚も重ねてパラパラと捲った結果生じる動画という実体のない錯覚の世界、過去と未来に思いを馳せた世界に生きているのであります。
恰も同じ世界にいるように見えても、彼らは静止の暗闇と沈黙の世界にいる、わたしたちは運動の光と音(喧騒)の世界にいるのです。
何故そのようなことがわたしたち人間だけに起こっているのでしょうか、その原因は他でもない自己の自己たる所以を知らないからであります。
本当の自己である「わたし」に気づかないで、偽者の複数の「私」を自己だと勘違いしているからです。
本当の自己である「わたし」は他の生き物と同じ静止の暗闇と沈黙の世界にいるにも拘らず、運動の光と音(喧騒)の世界にいる偽者の複数の「私」を自己と錯覚しているからです。
絶対一元世界と三面性を重畳する世界の違いであります。
しかし三面性にはそれぞれの共通項があることは既にお話しました。
その共通項こそが、絶対一元世界の出口であり、三元論世界の入口である、『今、ここ』であります。
言い換えれば、円回帰運動の始点である絶対一元世界から二元論世界を通過し一周して三元論世界である終点に着く駅こそが、『今、ここ』であります。
わたしたちが立っている二十一世紀という人類の歴史の点は、まさしく16両編成の列車の先頭が終点に向かって発進したところであり、差し当たり日本という国は二両目に位置していると考えたらいいでしょう。
一両目のアメリカが暴走するなら、二両目の日本が何とかしなければなりません。
その日本の重要な役割を担っているのが、最も数の多い団塊の世代でありますが、残念ながら彼らは今死体状態であります。
彼らの復活が待たれます。