Chapter 621 時間の束縛からの解放

時間の基である一日・一年を朝・昼・夜・春・夏・秋・冬の七つの形態(ゲシュタルト)に変換することによって、『今、ここ』の『今』という時間軸に立って、『ここ』という空間軸を眺めることが可能になる。
つまり時間の流れに流されない生き方をすることができるのです。
わたしたちが人生に悩み四苦八苦するのは時間に流されるからであります。
過ぎ去った過去を取り返そうとしたり、未だ来ぬ未来を先取りしようとする不可能なことに思いを馳せる結果、悩み四苦八苦の人生になるのですが、すべては時間に流されるのが原因です。
明日のことを思い患っても仕方ないのに未だ来ぬ明日を思うのは、時間の流れを制御できないからです。
時間の流れを自由自在に制御できるなら、悔やみごとのあった昨日を、『今、悔やみごと』にたぐり寄せ、心配ごとのある明日を、『今、心配ごと』にたぐり寄せて対応すれば答えは出るのですが、時間の流れは決まっていて自分の自由にはならない。
悩み・四苦八苦の正体とは、『悔やみごと』や『心配ごと』を『ここ』にできないことのジレンマであって、『悔やみごと』や『心配ごと』の解消ではないことがわかります。
『悔やみごと』や『心配ごと』を解消することが本意であるなら、『悔やみごと』や『心配ごと』がまな板の上に置かれてから料理するしかないのです。
まな板の上に置かれるのは、『今、ここ』の『ここ』しかないのです。
『今、悔やみごと』や『今、心配ごと』になってはじめて、まな板の上に『悔やみごと』や『心配ごと』という材料が置かれ料理することができるのです。
『悔やみごと』や『心配ごと』の本質は昨日や明日にあることで、『今』になると、『悔やみごと』や『心配ごと』は悉く唯の『ここ』に変わってしまうのです。
つまり、『悔やみごと』や『心配ごと』の唯一の解消方法は、『ここ』というまな板に置くことにあります。
ところが、『ここ』は、『今、ここ』しかない、つまり時間に流されているから、『ここ』を昨日に置いたり、明日に置いたりする自由裁量がわたしたちにはない。
時間に奴隷のように扱われている不自由さが悩み・四苦八苦の正体であるのです。
時間に支配され、自由を奪われる不自由さが悩み・四苦八苦の正体であるのです。
『悔やみごと』や『心配ごと』が悩み・四苦八苦の正体ではなく、時間に対する不自由さが悩み・四苦八苦の正体なのです。
時間からの独立・自立によってしか不自由さからの解放はないのです。
時間からの独立・自立を果たすためには、時間軸に立つしか方法はありません。
「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」しか方法はない。
『今』の上に立つことが、時間軸の上に立つことであり、時間軸の上に立つことで、時間に流されなくて済むのです。
電車に乗ることで電車と一体になり電車の動きを感じなくなる、つまり時間に流されなくなる。
電車の窓外にある景色を見ることで、はじめて電車と自分が動いていることを知るが、電車と自分が一体であることで安心感を持てるのです。
『今、ここ』に立つことで電車という全体と自分という部分が一体感を持てる。
全体と部分との絶対信頼関係によって、時間の束縛から解放されるのです。
時間の基である一日・一年を朝・昼・夜・春・夏・秋・冬の七つの形態(ゲシュタルト)に変換することによって、『今、ここ』の『今』という時間軸に立って、『ここ』という空間軸を眺めるということは、『今、ここ』という電車に乗って窓外の景色である『ここ』を見ることに外ならないのであります。
一日・一年を感じずに、朝・昼・夜・春・夏・秋・冬を感じることで、時間の奴隷から自己を解放することです。