Chapter 624 『今、ここ』の音

一日・一年という時間の基を朝・昼・夜・春・夏・秋・冬として捉えるということは、『今、ここ』の『今』という時間軸の原点に立って『ここ』という空間軸の原点を五感と「想い」で感じることに外なりません。
時間軸の原点に立っているから時間の流れを感じないのは、電車に乗ったら電車の速度を感じないのと同じで、窓外の景色を見れば自分も電車と同じ速度で運動していることがわかります。
電車の窓外の景色を朝・昼・夜・春・夏・秋・冬として五感で感じられることで、時間軸の原点に立って空間軸の原点を感じる、まさしく『今、ここ』の状態なのですが、視覚中心で生きているわたしたち人間の記憶を景色で憶えているように、わたしたちは紫・藍・青・緑・黄・橙・赤という色で見ていると言ってもいいでしょう。
記憶のベースにあるのは紫・藍・青・緑・黄・橙・赤という色情報であり、色情報とは光情報であり、光情報とは光の運動形態(ゲシュタルト)である波動体であり、「想い」に外なりません。
つまり五感で感じたことが「想い」に発展する、肉体で感じたことが意識に発展する、物質がはじめにありきで、そこから意識に発展する所以であります。
静止の暗闇と沈黙の宇宙が無限の宇宙に対し、運動の光と音(喧騒)の宇宙が有限の宇宙である所以であります。
一日・一年という時間の基を視覚で感じれば朝・昼・夜・春・夏・秋・冬が紫・藍・青・緑・黄・橙・赤の七色になるのに対し、一日・一年という時間の基を聴覚で感じれば朝・昼・夜・春・夏・秋・冬が音のド・シ・ラ・ソ・ファ・ミ・レの七音になります。
思い出の歌が誰にもあるのは、記憶を景色で憶えているのではなくて、音で憶えている証拠であります。
メロディーだけのものを曲と言うのに対し、メロディーと詩で構成されているのを歌というのは、歌詞も音の一種であるからです。
曲は音の波動体の面の発動(発音)であるのに対し、歌詞は音の粒子体の面の発動(発音)であると考えられ、何れも音情報つまり聴覚情報であることには変わりありません。
曲だけの音よりも、歌詞もある音の方が一般の人間には記憶され易い所以であります。
夢の中で映像として現われているのは光情報の視覚情報であり、言葉として現われているのは音情報の聴覚情報であるわけです。
夢の正体が記憶にあり、記憶とは過去・未来情報であり、過去・未来情報とは五感および第六感である「想い」情報に外ならない。
夢という一日の中で三つの形態(ゲシュタルト)のひとつが、眠りの形態(ゲシュタルト)よりも覚醒の形態(ゲシュタルト)に入れるべきだと主張する所以であり、覚醒状態の中に夢がある、従って、昼間目が醒めている時も夢を観ていると主張する所以でもあります。
わたしたち人間はすべて固有の存在で十人十色と言われていますが、実のところは七人七色と言った方が適切でしょう。また七人七音とも言えるのです。
運動の光と音(喧騒)の宇宙に生きている証であります。
七色は波長の長短と振幅の大小によって赤・橙・黄・緑・青・藍・紫があります。
七音は波長の長短と振幅の大小によってド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シがあります。
自分の色は何色か、自分の音は何音かを把握することは、波長の長短と振幅の大小を理解することになり、波長の長短と振幅の大小が人生の使命・宿命・運命を知るヒントになるのです。
善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富・・・幸・不幸、天国・地獄、神・悪魔といった二元論に基づく二元要因は、波長と振幅で決まる山と谷の大きさを表現しているのですから、自分の波長の長短と振幅の大小を知ることが、自分の人生の使命・宿命・運命を知ることに外なりません。
自分の波動体としての特性こそが個性であり、個性を見出すことが自立の真の意味であり、真の自由は真の自立から得られるのです。
『今、ここ』という電車に乗って、窓外の景色である朝・昼・夜・春・夏・秋・冬を紫・藍・青・緑・黄・橙・赤で感じるか、ド・シ・ラ・ソ・ファ・ミ・レで感じるかの感度が必要です。
他の生き物はすべて自分たちの得意とする五感で感じているのです。