Chapter 627 『今、ここ』の肌触り

五感の中で一番厄介なのが触覚であります。
視覚・聴覚・嗅覚・味覚は感覚つまり二次元的であるのに対し、触覚で感じる肌触りは三次元感覚のため実体あるものと勘違いし易く、視覚で感じるものは映像だと言っても納得するが、触覚で感じる肌触りというものは三次元立体的に捉える結果、実体あるものと錯覚するのです。
触覚は皮膚に分布している蝕点という小さな感覚器官が司っています。
蝕点は温度(冷たさ、熱さ、温もり)や痛み、そして機械的刺激を受け取る「受容器レセプター(Receptor)」とも言われ、皮膚の表皮や真皮の境界、真皮部分、更に皮下組織に分布していて、大脳新皮質の「体性感覚野」に繋がっています。
蝕点には二種類あって、「カプセル」と呼ばれる領域を持った蝕点と、末端神経が枝分かれした一点集中型の「自由神経終末構造」があります。
つまりある皮膚領域全体で感じるものと、針の先で感じるようなものとがあるわけです。
特に体毛のない部分つまり指先と手の平、足の平に蝕点が多く集まっているので、指先は点(1mm程度の領域)で感じる「自由神経終末構造」型蝕点ですが、ふくらはぎ、ふともも、背中などは、40mmもの巾で感じる「カプセル」型蝕点といった違いです。
この違いを感じるのは、機械的刺激が運動している場合と、静止している場合で大きく変わり、運動している場合の方が遥かに感知する感度が鈍るのです。
更に、この運動が凹凸パターンの二次元振幅運動のため、大脳新皮質の「体性感覚野」でやはり二元論的判断に変わってしまうのです。
ところが、わたしたちが触覚で感知しているのは三次元形状認識です。
三次元形状認識のことを「実体蝕知」と言います。
実体蝕知は触点だけで感知しているのではなくて、手を動かすといった能動的な運動が加味されて出来る認識であって、まわりの筋肉からの情報なども必要とされ、単純に触覚で感知したものではないのです。
つまり触覚で感知したものも、所詮二次元運動的(映像的)であり、大脳新皮質の「体性感覚野」では善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富・・・幸・不幸、天国・地獄、神・悪魔といった二元論要因で区分けされた大きな棚にしまい込まれるわけです。
実体があると認知する基本が三次元形状認識つまり実体蝕知であることがわかったわけですが、実体蝕知は五感の一つである触覚だけに依るものではないのです。
つまり五感では実体蝕知は出来ない、これが結論であります。
二次元平面テレビでは事実の一部しか見えないが、三次元テレビによってはじめて事実のすべてが見えるのと同じように、実体を認知できるのは三次元形状認識つまり実体蝕知でしか出来ないのであって、二次元形状認識しか出来ない触覚で感知できるものは所詮実体のない虚像に過ぎないのであります。
知性の原点である大脳新皮質こそが二元論世界の旗手であり、存在の原点である『今、ここ』こそが三元論世界の艦船であるのです。