Chapter 628 『今、ここ』の心(マインド)

『今、ここ』における五感との関係は、実体あるものと感知するものの関係であると言えるでしょう。
『今』という自己が立っている時間軸の原点つまり唯一時間が静止している従って時間の概念がないところから、空間軸の原点である『ここ』を感知すると、視覚情報なら色情報の紫・藍・青・緑・黄・橙・赤に収束され、聴覚情報なら音情報のド・シ・ラ・ソ・ファ・ミ・レに収束され、嗅覚情報なら3千から1万種類の匂い情報に収束され、味覚情報なら味情報の甘味・酸味・塩味・苦味・辛味・渋味・えぐ味・金属味・アルカリ味に収束され、触覚情報なら肌触り情報の冷たさ・熱さ・温もり・痛み・機械的刺激といった凹凸パターンの二次元振幅運動情報に収束された結果、記憶情報になるわけです。
感知する五感情報は既に過去情報ですから記憶情報になっているわけです。
視覚情報は光の速度で移動するけれど、感知している間に『今』という自己が立っている時間軸は移動していて、『ここ』で感知した視覚情報は過去情報の記憶になっている、つまり、『ここ』という空間軸の原点(現在)から既に過去になってしまっているのです。
聴覚情報は音の速度だから、もっと速く過去になってしまっている。
嗅覚情報は大気の流れの速度だから、更にもっと速く過去になってしまっている。
味覚情報・触覚情報は身体の運動速度だから、更に更にもっと速く過去になってしまっている。
『今、ここ』の『ここ』の位置が既に過去(未来)に移動してしまっているから、記憶に過ぎないわけで、リアルに体験した事柄ではなくなっているわけだから、どうすることもできません。
時間の概念がここではじめて現われるわけです。
どうすることもできないことが時間の概念の正体であると言ってもいいでしょう。
時間の概念があるゆえに人生の悩み・四苦八苦が起こるわけです。
『今、ここ』であれば逆に、何でもできるわけです。
『今、ここ』の『ここ』が過去(未来)になっているからどうすることもできないのです。
『ここ』を感知するのに伝達時間が掛かるから過去(未来)情報という記憶情報になる結果、どうすることもできなくなるのです。
伝達時間が掛かった結果、視覚情報なら色情報の紫・藍・青・緑・黄・橙・赤が、聴覚情報なら音情報のド・シ・ラ・ソ・ファ・ミ・レが、嗅覚情報なら3千から1万種類の匂い情報が、味覚情報なら味情報の甘味・酸味・塩味・苦味・辛味・渋味・えぐ味・金属味・アルカリ味が、触覚情報なら肌触り情報の冷たさ・熱さ・温もり・痛み・機械的刺激といった凹凸パターンの二次元振幅運動情報が、朝・昼・夜・春・夏・秋・冬に変換され、更に一日・一年に変換され、更に人間の場合は月・週・時・分・秒まで細かく刻まれて記憶の倉庫にしまい込まれる。
記憶の倉庫は、縦と横の棚から構成されていて、縦の棚は時間の区分けつまり年・月・週・日・時・分・秒に分けられているのに対し、横の棚は善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富・・・幸・不幸、天国・地獄、神・悪魔といった二元論要因で区分けされた二つの棚しかありません。
結局のところ、わたしたちの記憶というものは善・悪どちらかに区分けされたものを、時間毎に峻別されているのであります。
善・悪は二元要因の代表であって、要するに善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富・・・幸・不幸、天国・地獄、神・悪魔といったコインの裏表ですから、すべてを包含していると言ってもいいでしょう。
従って、横の棚は本質的には一つしかなく、「四苦八苦の棚」と言ってもいいでしょう。
わたしたちの記憶というものは、「四苦八苦の棚」にしまい込まれたメニューを時間毎に峻別されたものと言っても過言ではありません。
記憶が湧き出てきたものは、すべて四苦八苦の原因になるのです。
そこで第六感である「想い」ですが、結局の処、伝達速度が五感よりも極めて速いだけで、本質的には何ら変わらないのです。
太陽の姿を見るには8分掛かるが、「想い」は瞬間で伝わります。
所詮、瞬間も時間ですから、伝達時間がゼロつまり『ここ』ではあり得ない。
第六感である『想い』情報も、やはり「四苦八苦の棚」にしまい込まれるが、年・月・週・時・分・秒よりも更に精妙な区分けになり、最も『今、ここ』にいると錯覚に陥り易い情報だと言えます。
それが、『心(マインド)』と言うものであります。
『心(マインド)』というものが最も巧妙且つ精妙である所以です。