Chapter 632 質*量の高度自由社会

アインシュタインの相対性理論では、時間と空間が相対的であるゆえに、時間が空間の一次元上の四次元要因であるとして、空間の宇宙に対して時空間の宇宙を表現して、帰納法で次元要因を検証しました。
三次元立体の三次元要因で切断した断面は二次元平面であり、二次元平面の二次元要因で切断した断面は一次元線であることから、四次元世界を四次元要因で切断した断面が三次元立体空間であることから四次元要因を時間だと帰納法的に推論したわけです。
しかし演繹的に推論すると、一次元は長さが要因の線であり、二次元は長さに巾が加わった面になり、三次元は長さ・巾に高さが加わった立体になることまでは容易に推論できますが、長さ・巾・高さに何が加わって四次元世界を推論するかとなると、凡そ時間といった唐突な考え方は理解できないわけで、Chapter631「量から質*量へ」でお話しましたように、線・面・立体・重さ、つまり線・面・立体までは嵩(かさ)であり、嵩(かさ)に質が加わって重さになると考えた方が、普段のわたしたちの生活つまり実人生に密着したものになることは言うまでもありません。
「嵩が張る」、「嵩む」といった言葉で量的程度を表わすのは嵩で表現しているわけで、「尻が軽い」、「重厚」、「重い意見」といった質的程度を表わすのは重さで表現することでも明白であります。
縦*横*高さは三次元立体の嵩(かさ)であるのに対し、縦*横*高さ*比重が四次元立体の重さになる。
ただの箱が嵩である三次元立体であるのに対し、箱に中身が入って重さになると言い換えてもいいでしょう。
コンピュータそのものが箱(ハードウエアー)という三次元世界であるのに対し、基本ソフトやコンテンツという四次元要因が加わったシステム(ハードウエアー+ソフトウエアー)が四次元世界であると言い換えてもいいでしょう。
生れたままの肉体が大きく成長するだけでは、嵩が張って却って邪魔になるだけですが、そこに知識や経験による智恵が加わって大人という一段上の価値ある存在になるわけで、更に究極のゴールにあるのが、安心立命の境地であり、悟りであり、究極の平和な死があるのでなければ、四次元世界を探求する意味がありません。
ただ知識欲や探求欲といった水面下に名誉欲が絡んだ学者的探求心は、これからやって来る新しい社会には必要ありません。
量ばかりを追いかけてきた挙げ句の拝金主義を、近代・現代社会の終着駅にしなければなりません。
新しい社会の始発駅は質を加えた重味のある高度自由社会にしなければなりません。
高度自由社会の始発駅の駅名は、「世襲と相続のない社会」であります。
世襲と相続が人間社会の質を落としてきたのであり、世襲と相続が罷り通る量だけの従来の社会から、世襲と相続のない質*量の社会こそ高度自由社会であるのです。