Chapter 637 時間という禁断の実

四次元世界までは固有世界(部分)観であり、五次元世界になって全体世界観になると申しました。
意識の層には表面に顕在意識があって、その下に潜在意識がある。
そこまでは固有の意識であるが、更にその下には全体である集合意識がある。
三次元量的世界までが顕在意識の層であり、四次元(質*量)的世界が潜在意識の層であり、五次元全体世界が集合意識の層であると言ってもいいでしょう。
わたしたちが自己を認識できるのは飽くまで固有世界(部分)観、つまり四次元世界までのことであり、認識度の違いによって四次元であったり三次元であったり二次元であったり一次元であったりするわけです。
しかし固有の世界が独立して存在するわけではなく、その下(上)には必ず全体の世界が根のように張っていることを忘れてはなりません。
運動の光と音(喧騒)の宇宙に住んでいるわたしたちですが、その下(上)に根のように張った静止の暗闇と沈黙の宇宙が、わたしたちの運動の光と音(喧騒)の宇宙を支えてくれているのです。
人間の母親の胎内で十月十日間生きている胎児が、36億年前からの全生物の記憶を体現していることが、人類も進化過程の一種類である証左であります。
十代遡れば1,024人の祖先がいて、二十代遡れば1,048,576人の祖先がいて、三十代遡れば1,073,741,824人の祖先がいて、四十代遡れば1,099,511,627,776人つまり一兆を超える祖先がいるわけですが、一兆を超える祖先とは人間だけではなく全生命体を示唆している証左でもあります。
先祖が貴族だとか武士だとか言って自慢するのは愚かであります。
況してや、世襲・相続という慣習を人間社会だけに齎した血族意識などは愚の骨頂であります。
生き物すべてが親兄弟であるのです。
人類だけが神に似た特別な生き物で、恰も別の星から渡来して来たかのように喧伝する宗教家もいるようですが、人間を混乱させるとんでもない歪んだ考えであります。
神を擬人化するのも、人間を擬神化するのも、他の生き物に対する侮辱以外の何者でもなく、延いては地球を侮辱し、太陽を侮辱し、宇宙を侮辱しているのと同じことであります。
宗教は所詮人間がつくった人間勝手な歪んだ考え方です。
時間を四次元要因にしたことによって、四次元世界をわたしたち三次元立体物から隔絶したものにしてしまったようです。
(縦*横*高さ)までは誰でも納得できるが、(縦*横*高さ*時間)と言われても俄かに腑に落ちるわけにはいかない。
神の概念がそこにつけ込む隙があったのではないでしょうか。
十代遡れば1,024人の祖先が、二十代遡れば1,048,576人の祖先がいて、三十代遡れば1,073,741,824人の祖先がいて、四十代遡れば1,099,511,627,776人つまり一兆を超える祖先がいることは絶対に確かですが、更に遡れば無限の祖先がいることになり、それがすべて人間であった筈がない。
現在の人口がおよそ65億で、二千年前には3億で、太古の昔には人類は数十万から数百万しかいなかったわけで、全部合せても一兆になるわけがない、無限となれば況やであります。
一体何処で人間の祖先が発生したのでしょうか。
神の概念がそこにつけ込む隙があった。
日本神道では、神の概念と祖先の概念とが同一になっている所以ではないでしょうか。
(縦*横*高さ)から時間へ突然ジャンプした結果、人間だけが四苦八苦の人生を送る羽目になったのであります。
人類の祖先であるアダムとイヴが禁断の実を食べた結果、エデンの園というユートピアから追放された。
禁断の実とは善悪を判断する知性の実であったと聖書は言いますが、それは時間という神であり悪魔である実ではなかったのでしょうか。