Chapter 643 重みのある人生

重さのことを質量と言います。
つまり質*量のことを重さと言うのです。
質とは中身のことであり、量とは嵩(かさ)のことであり、従って重さとは、中身と嵩(かさ)が相俟って構成されているもののことであります。
量的時間とは、嵩(かさ)だけの時間であり、質的時間とは質*量=重さの時間のことを言います。
嵩(かさ)だけの時間とは、水平的時間のことであり、普段わたしたちが所謂時間と称している実時間のことであり、昨日(過去)・今日(現在)・明日(未来)で代表され、三秒前・三秒後、三分前・三分後、三時間前・三時間後、三日前・三日後、三ヶ月前・三ヶ月後、三年前・三年後、三十年前・三十年後・・・・・生れた直後・死ぬ直前で表現する時間のことであります。
わたしたちは、これら嵩(かさ)だけの時間を意識して生きてきた結果、とんでもない落し穴に嵌ってしまったようです。
嵩(かさ)だけの時間は、結局の処、生命エネルギー(寿命)がモーメント(Momentum=運動量)になった一生という振り子運動を、生れた直後・死ぬ直前の間で往き来する際の時の刻みに過ぎないのです。
歳を重ねていくに連れて、生命エネルギー(寿命)というモーメント(Momentum=運動量)が減少していき、生れた直後・死ぬ直前という最大の巾が徐々に縮小していき、三十年前・三十年後から三年前・三年後になり、三年前・三年後から三ヶ月前・三ヶ月後になり、三ヶ月前・三ヶ月後から三日前・三日後になり、三日前・三日後から三時間前・三時間後になり、三時間前・三時間後から三分前・三分後になり、三分前・三分後から三秒前・三秒後になり、最終的には0秒前・0秒後という現在からジャンプして、『今、ここ』の『今』に到達して振り子は止まり、一生の振り子運動は終了するのであります。
歳を重ねていくとは、所謂年齢のことであります。
若いということは年齢の残量が多いことを指し、老いということは年齢の残量が少ないことを指します。
若い人は年齢の残量が多い、つまり生れた直後・死ぬ直前から三十年前・三十年後といったスパンで時間の感覚を捉えているのに対し、老いた人は三日前・三日後、三時間前・三時間後、三分前・三分後、三秒前・三秒後と縮小していき、やがて、0秒前・0秒後の現在からジャンプして『今、ここ』の『今』に到達して死ぬわけです。
死が突然やって来るのは、0秒前・0秒後の現在と、『今、ここ』の『今』との間には深い溝が横たわっていて、繋がっていないからであります。
『今』の時間軸と、『ここ』の空間軸が交差していないからであります。
自分が拠って立っている(実在している)ところは、『今』の時間軸であるのに、『ここ』の空間軸に立っているという勘違いをして見る流れが、嵩(かさ)だけの時間であり、水平的時間のことであり、普段わたしたちが所謂時間と称している実時間のことであり、昨日(過去)・今日(現在)・明日(未来)で代表され、0秒前・0秒後、三秒前・三秒後、三分前・三分後、三時間前・三時間後、三日前・三日後、三ヶ月前・三ヶ月後、三年前・三年後、三十年前・三十年後・・・・・生れた直後・死ぬ直前で表現する時間のことであります。
自分が拠って立っている(実在している)『今』の時間軸から見えるのは、『ここ』という空間軸の景色の流れであり、景色の流れを広く見るには、自分が拠って立っている(実在している)、『今』の時間軸の位置を高める必要があります。
嵩(かさ)だけの時間、水平的時間、普段わたしたちが所謂時間と称している実時間、昨日(過去)・今日(現在)・明日(未来)で代表され、0秒前・0秒後、三秒前・三秒後、三分前・三分後、三時間前・三時間後、三日前・三日後、三ヶ月前・三ヶ月後、三年前・三年後、三十年前・三十年後・・・・・生れた直後・死ぬ直前で表現する時間に対して、質*量=重さの時間、垂直的時間、普段わたしたちが所謂時間と称している実時間に対する虚時間、高い・低いで表現される時間を意識することによって、量的時間の中で生きることから、質*量=重さである質的時間の中で生きることに変身することができるのです。
上辺だけの人生、他人の目を気にして他人の存在を地獄に思う人生、この世的成功を追いかける人生、四苦八苦の人生は、中身のない、嵩(かさ)だけの、量的時間の中で生きる人生のことに外なりません。
本物の人生、他人の目を気にしない自分独りの人生、使命を知る人生、四苦八苦のない人生、中身と嵩(かさ)が相俟った質*量=重みのある質的時間の中で生きる人生とは、『今』という時間軸に立って、高みを極めていく虚時間を意識する人生であり、真の老若とは、年齢の問題ではなく、虚時間の高みの問題であるのです。