Chapter 649 十六通りの「二元論」

人間の祖先であるアダムとイヴが禁断の実を食べた結果、人間だけが善悪の判断をするようになり、エデンの園つまり自然社会から追放されたと聖書は語ります。
つまり神が認めた自然の社会とは善悪の判断など無い社会であり、善悪の判断をする社会を神は認めていないということになり、畢竟わたしたち人間は未だに神から認められていないことになります。
神から認められていない生き物ゆえ神を崇める。
神から認められている他の生き物は神の観念すら持っていない。
『今』という時間軸に立てば時間の観念がなく、『ここ』という空間軸に立てば昨日(過去)・今日(現在)・明日(未来)という時間の観念が生じるのと同じ現象であります。
聖書の神にとっての人間とは性悪説の極みであり、決して万物の霊長などではないわけで、従っていろいろな戒律を与えたのでしょうか。
聖書をバイブルにしたユダヤ教・キリスト教・イスラム教の正体は懺悔の宗教と言っても過言ではありません。
神−所詮人間が捏造した神−と一緒に罪深き人間が懺悔する宗教であり、懺悔する原点に善悪の判断が横たわっているのです。
善悪の判断と、善悪二元論とは全く違うもので、厳密に言えば背反関係にあります。
善悪の判断とは、善を好いこと、悪を好くないことということであって、好いか、好くないかの相対的一元論であります。
他の生き物が生きているエデンの園は、善の概念も悪の概念もない世界です。
わたしたち人間がする善悪の判断とは、好いことが善であり、好くないことが悪であるというわけですが、好いことと、好くないことは実は同じ本質つまり同質であることを理解していないのです。
二元論とは同質である二つの要因が表裏になって表われていることを意味しています。
善と悪と言うと、相反する言葉のように取られますが、好いことと好くないことは同質であって、切っても切り離せないものであるのです。
好い面と好くない面を切り離そうと無理難題なことをするのが、相対的一元論的生き方をする人間だから、悩みや苦労が絶えないのです。
無理難題なことをする相対的一元論つまり“好いとこ取りする”こと自体が悩みや苦労の原因であって、好いことが幸福の原因であり、好くないことが不幸や悩みや苦労の原因ではないのです。
善悪の判断とは、善があって悪があるのではなくて、好いと思うことが善であり、好くないと思うことが悪であると勝手に決めつけているだけのことであるのです。
はじめに善悪二元があるのではなくて、はじめに好い一元なのであって、好いつまり悪に対する善の相対的一元に外ならないのです。
善悪二元論とは、善悪の概念のない絶対一元論に対し、善悪の概念のある絶対一元論と言ってもいいでしょう。
善悪の概念のない絶対一元論とは、善と悪とは好い好くないの同質であることを認識していないつまり無知性であるのに対し、善悪の概念のある絶対一元論とは、善と悪とは好い好くないの同質であることを認識できる有知性のことであるのです。
無知性の絶対一元論を一元論と言い、有知性の絶対一元論を三元論と言うのであり、二元論の本質とは無知性の絶対一元論である一元論と、有知性の絶対一元論である三元論を包含したものに外ならないのであります。
従って、二元論の本質を理解することが極めて重要であります。
わたしたち地球上に生きているものにとっての二元論は、生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄の十六通りに分化されているが、静止の暗闇と沈黙の絶対宇宙から、運動の光と音(喧騒)の全体宇宙が分化された瞬間(とき)に生れた正物質と反物質という二通りが基であります。
正物質から八通りに分化され、反物質から八通りに分化され、生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄の十六通りに分化されたのです。
十六通りと言っても基本形は八通りであるのが表裏関係になっているだけのことです。
正物質からは生・オス・善・強・賢・富・幸福・天国の八通りであり、反物質からは死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄の八通りになるわけです。
全体宇宙が誕生した直後に、X粒子の正物質と反物質が衝突して共に消滅した−対消滅−結果、光が誕生したのが運動の光の宇宙の所以であります。
わたしたちが生きている全体宇宙は、正物質と反物質が共存している世界ではなくて、正物質だけ、若しくは反物質だけの世界だと科学の世界では言われています。
全体宇宙が誕生した直後は正物質と反物質が共存していたが、どちらか一方が一個だけ多くあって、お互い対消滅した際に一個だけ多かった方が残った世界が、わたしたちの宇宙であると言うわけです。
生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄の十六通りに分化されても、基本形は八通りであり、しかも他の八通りは実体のないものであることが、わたしたちの生きている世界が正物質と反物質が共存するものでないことの証左かも知れません。
生は死の不在であり、オスはメスの不在であり、善は悪の不在であり、強は弱の不在であり、賢は愚の不在であり、富は貧の不在であり、幸福は不幸の不在であり、天国は地獄の不在であり、実体があるのは死であり、メスであり、悪であり、弱であり、貧であり、不幸であり、地獄であるのが、わたしたち人間だけの相対的一元論の世界であって、二元論の本質である有知性の絶対一元論つまり三元論に進化しない限り、わたしたち人間は悩みや苦労から解放されることはないでしょう。