Chapter 650 十六通りの「全体と部分の相対性の法則」

「全体と部分の相対性の法則」の基本は自転と公転関係にあり、地球が自転し太陽の回りを公転しているのは、「全体と部分の相対性の法則」に基づく自転と公転関係が四回分化して十六通りの関係になった結果であり、月が自転しながら地球の回りを公転しているのは、自転と公転関係が五回分化して三十二通りの関係になった結果であります。
宇宙に存在する物質はミクロレベルからマクロレベルまで自転と公転という円回帰運動をすることによって、全体と部分の相対性の法則を維持していて、自転が全体観の表象であり、公転が部分観の表象であると申しました。
わたしたちが生きている地球上では十六通りつまり八通りの自転形態と八通りの公転形態に分化した。
全体観の表象である自転形態として星(地球)・動物・植物・鉱物・分子・原子・原子核・素粒子の八通りの肉体という静止形態に分化して、自転という運動をすることによって、それぞれの肉体に意識という運動形態が誕生した。
部分観の表象である公転形態として固体の肉体(全体観)と五感(部分観)・液体の肉体(全体観)と五感(部分観)・気体の肉体(全体観)と五感(部分観)・プラズマの肉体(全体観)と五感(部分観)の八通りに分化して、公転という運動をすることによって意識(全体観)と「想い」(部分観)が誕生したのです。
わたしたち人間は、全体観の表象である自転形態としては、動物の肉体と意識を持った形態であり、部分観の表象である公転形態としては、公転の中心である全体観として固体の肉体(静止観)と意識(運動観)を持ち、公転する部分観として固体の五感(静止観)と「想い」(運動観)を持った形態で以って表象していると言ってもいいでしょう。
プラズマというのは、ある物質を非常な高温状態にすると、物質を構成する原子の中の電子や原子核といった素粒子(量子)が回転軌道から飛び出して−量子飛躍と呼ぶ−不安定な状態になることを言います。
宇宙のはじめは原子番号(1)つまり一個の電子の水素だけでしたが、高熱によって量子飛躍が起こり、電子が二個つまり原子番号(2)のヘリウムが誕生したといった具合にどんどん新しい原子が生れていったのは、プラズマ状態を経由してであり、固体・液体・気体・プラズマという四つの形態を相転移したのが、わたしたちの地球であるのです。
固体の氷、液体の水、気体の水蒸気、そしてプラズマ状態の水。
プラズマ状態には四つの形態があります。
不安定の中の不安定。
不安定の中の安定。
安定の中の不安定。
安定の中の安定。
熱エネルギーを加え続けることで、最終的には安定の中の安定になった状態が、肉体と意識の全体観と五感と「想い」の部分観が均衡の取れた状態つまり結晶化状態になるのですが、この状態を「悟り」、「覚醒」と呼ぶのであり、熱エネルギーを加え続けることこそが継続に外なりません。
こういった四つの形態が八通りの形態更には十六通りの形態に分化されたのは、飽くまで地球という星の上での話が前提であることを忘れてはなりません。
従って、全体観の表象である自転形態としての動物の肉体と意識を持ち、部分観の表象である公転形態としての固体の肉体と意識、五感と「想い」を持った、わたしたち人間にとっても、地球という星が絶対的な存在であることを忘れてはなりません。
古今東西いろいろな宗教が起こった中で、宇宙創造者や太陽といった汎神論から、ヤーヴェの神やアラーの神、更には祖先といった人格神を担ぐ唯神論まで多くの神の形態が捏造されたが、自然崇拝と言ってもいいのですが、地球を神とする考え方を明確に意識したことがない。
「全体と部分の相対性の法則」の基本である自転形態と公転形態が地球では十六通りに分化した結果、地球上に部分として存在するものはすべて、地球を絶対的全体観として認めなければなりません。
人間以外の地球上の存在するものはすべて地球を絶対的全体として認めているにも拘らず、わたしたち人間だけが恰も自分たちが全体のように振る舞っているのです。
人類は今まで進歩してきたとは決して言えません。
自己の拠って立つ位置を見直してみることが急務であり、その中に人類の進歩の縁が見えてくるのではないでしょうか。