Chapter 656 わたしたちは地球

地球上に存在するものは、地球そのものも含めてすべて肉体と意識を持ち、更に五感と「想い」を持っています。
最小粒子の素粒子から原子核、原子、分子、動物、植物、鉱物、地球に至るまで、まさにミクロからマクロまで固体・液体・気体・プラズマの肉体と意識、五感と「想い」を持ち、線・線運動、平面・平面運動、立体・立体(空間)運動、質・円回帰(時空間)運動という静止形態と運動形態を繰り返し、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄とその不在状態である生・オス・善・強・賢・富・幸福・天国を表象している物質であるのです。
結局の処、地球上に存在するものはすべて地球そのものであると言ってもいいわけで、63億いるわたしたち人間も地球そのものであるのです。
遠い宇宙の彼方にある星を見ていて、その星に人間のようなものが存在していたとしても、それは星の一部であるとしか思いません。
遠い宇宙から、わたしたち地球という星を観測している者がいるとするなら、地球上にわたしたち人間が偉そうにしていたとしても、所詮地球の一部としか見えないでしょう。
わたしたち人間は人間である前に地球であるのです。
地球が四十八の法則すなわち十六通りの「二元論」、十六通りの「全体と部分の相対性の法則」、十六通りの「在り方と考え方」に細分化された結果、動物という形態での固体としての肉体と五感を持った地球の部分観として、わたしたち人間が存在していることを自覚しなければなりません。
地球が自転と公転をしているのですから、その部分であるわたしたち人間も自転と公転をしているのは当り前です。
わたしたち人間にとっての自転と公転ということは、静止状態と運動状態の二面性つまり「在り方と考え方」に変換されているのです。
物理学で「絶対同時性の不存在」−運動条件下における同時性と離れた場所の間の同時性は起こり得ない−と言われているのが、わたしたち人間の日常生活にとっては「在り方と考え方」なのです。
距離的に離れた間での出来事が同時に起きることはあり得ないわけで、「距離的に離れた間」という意味は「自他」という意味ですから、自分以外のものはすべて過去情報としてしか感知できないことを意味しているわけで、他者はすべて映像に過ぎないことの証左であります。
更に物理学で「質量とエネルギーの同等性」−運動量保存の法則とエネルギー保存の法則が同じ原理に基づくとするなら、物質の(慣性)質量=重力による質量(重力質量)に対して加速度方向と反対方向に働く慣性力がもたらす質量=はそれが持つエネルギーと同一になる−と言われているのが、質量とは自転のことであり、エネルギーとは公転のことであります。
自転とは、自分は独りの世界に生きているという世界観であります。
公転とは、他者はすべて映像であるという世界観であります。
自分は独りの世界で生きていて、他者はすべて映像であるのが「在り方」である、つまり「絶対同時性の不存在」と「質量とエネルギーの同等性」を顕現しているのに、自分と他者という距離のある者同士の間に同時性を持ち込むことが「考え方」であると言ってもいいわけです。
他人の存在を自分と同等化していると言ってもいいでしょう。
質量がエネルギーであるという同等化に対し、エネルギーの一形態である波動体が他者という鏡に反射した投影だと言ってもいいでしょう。
物理学で言うところの「絶対同時性の不存在」と「質量とエネルギーの同等性」を、わたしたち平凡な人間社会にまで落し込まない限り、わたしたちの四苦八苦の人生は続くでしょう。
他の生き物たちは地球を家族として受入れているから、「絶対同時性の不存在」と「質量とエネルギーの同等性」を無意識の内に受入れているのです。
わたしたち人間は意識して受入れる以外に道はないのです。
物理学とは決して科学者だけのものではないことを肝に銘ずべきであります。