Chapter 662 本当の“楽しさ”

新年を迎えて、“今年こそは、好い楽しい年でありますように” と日頃見向きもしない神社仏閣に参って手を合せますが、“楽しさ”ということの本当の意味をわたしたちは解っていないようです。
“楽しさ”ということは、その字の通り“楽(らく)”になることであり、“楽(らく)”になるということは、“苦”から“楽(らく)”になることに外ならないのです。
ところが、わたしたちは、“楽(らく)”から“楽(らく)”になることを“楽しさ”だと思っていているわけで、勘違いも甚だしいわけです。
四苦八苦とは四楽八楽でもあるのです。
四苦である生老病死。
八苦である生老病死と愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦。
生きる苦しみから楽になる。
老いる苦しみから楽になる。
病気の苦しみから楽になる。
死ぬる苦しみから楽になる。
愛する人と別れる苦しみから楽になる。
憎む人と出合う苦しみから楽になる。
求めても得られぬ苦しみから楽になる。
欲望に振り回される苦しみから楽になる。
四苦八苦があって四楽八楽があるわけで、四苦八苦のない“楽(らく)”などないのであります。
普段何の不自由もない生活をしている中では、楽しいことは起こり得ないのです。
毎日何か不自由さの中で生活をしていて、その不自由さを努力することで解消した後にやって来る解放感が“楽(らく)”の正体であって、その瞬間(とき)こそが“楽しさ”の瞬間なのです。
病気は嫌なことですが、病気をしなければ健康の楽しさを知ることはできません。
貧乏は嫌なことですが、貧乏をしなければ豊かな楽しさを知ることはできません。
不幸は嫌なことですが、不幸を味わなければ幸福の楽しさを知ることはできません。
地獄は嫌なことですが、地獄を経験しなければ天国の楽しさを知ることはできません。
わたしたち人間も含めて地球上に存在している生き物は、生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄の十六通りの苦楽の中で生きています。
冒頭で申しましたように、八通りの“楽(らく)”つまり生・オス・善・強・賢・富・幸福・天国は、八通りの“苦”つまり死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄からの解放感であって、八通りの“苦”なくして起こり得ない感情なのです。
つまり“苦”の感情と“楽”の感情は一枚岩であってはじめて成立するのです。
わたしたち人間以外の生き物は、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄が自然(宇宙)の正体であり、生・オス・善・強・賢・富・幸福・天国は単なる概念であることを無意識の中で知っているから、四苦八苦のない一生を送ることができているのです。
わたしたち人間だけが、生・オス・善・強・賢・富・幸福・天国が死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄からの解放感つまり“楽しさ”であることを理解していないから、四苦八苦の一生を送る羽目になっているのです。
谷あっての山であり、谷のない山はありません。
“苦”あっての“楽(らく)”であり、“苦しさ”のない“楽しさ”はありません。
新年を迎えて何か決め事をするなら、“先ず苦を引き寄せることによって、楽を獲得する一年にする”と決意されることをお薦めします。
そうすれば今年の大晦日に、楽しい一年だったと思い起こすことができるのではないでしょうか。