Chapter 664 悟っていないのは人間だけ

地球上の生き物にすべて具わっているのに、わたしたち人間だけに欠けているもの。それが、『今、ここ』を生きることができないということであり、悟りとは、『今、ここ』を生きていることに外ならないのです。
つまり、わたしたち人間だけが悟っていないのであり、悟っていないから悟りを渇望するわけです。
“真理は語ることができない、語ることができるものは真理ではない”
老子の言葉であります。
“悟っている者は悟りを求めない、悟りを求める者は悟っていない”
悟りは程度の問題ではなく、悟っているか、悟っていないか、のどちらかであります。
地球を含めて人間以外のものはすべて、肉体も意識も五感も「想い」も、自分だと思っています。つまり悟っているのです。
わたしたち人間は、肉体も意識も「想い」も自分だと思っていますが、五感を自分だと思っていません。つまり悟っていないのです。
五感を自分だと思えない理由は、視覚中心の生き物であるからです。
視覚情報は光の速度でインプット・アウトプットされる。
聴覚情報は音の速度でインプウト・アウトプットされる。
嗅覚情報は対流速度でインプット・アウトプットされる。
味覚情報は伝導速度でインプット・アウトプットされる。
触覚情報は伝導速度でインプット・アウトプットされる。
五感で感知される情報はすべて過去情報であることは、何度も申してきました。
音の速度・対流速度・伝導速度は、時間の差つまり時差を自覚し易いのに比べて、光の速度イコール時間の流れの速度−時間の概念は光の誕生によって生れた−なので、光の速度でインプット・アウトプットされる視覚情報は時差を自覚できないのです。
時差を自覚できるということは、『今、ここ』と過去・現在・未来を区分けできるということであり、過去も現在に含まれ、未来も現在に含まれるわけですから、『今、ここ』と現在の区分けができるということであり、『今、ここ』という現実と、現在という非現実とを区分けできるということであります。
時差を自覚できないということは、『今、ここ』と過去・現在・未来を区分けできないということであり、『今、ここ』と現在を区分けできないということであり、畢竟、『今、ここ』という現実と、現在という非現実とを区分けできないということであります。
わたしたち人間だけが、思い悩み、四苦八苦する一生を送っているのは、現実と非現実の区分けの欠如が原因なのです。
現実とは、時間を意識しない世界のことです。
つまり、『今、ここ』という世界です。
非現実とは、時間を意識する世界のことです。
つまり、過去・現在・未来に想いを馳せている世界です。
悟りとは現実認識力と言ってもいいでしょう。
結果、わたしたち人間は、見る、聞く、匂う、味わう、肌で感じるという五感で感知することを現実だと勘違いしているのです。
非現実を現実だと勘違いすることこそが、迷いであり、四苦八苦であるのです。
現実を現実だと認識している者にとっては、現実という意識すらない、つまり、『今、ここ』を生きているのです。
『今、ここ』を生きようと思っていることは、『今、ここ』を生きていない証左です。
目に見えることを現実だと思っている限り、『今、ここ』を生きることは不可能であります。