Chapter 665 五感が鍵を握っている

悟るということは、自己の拠って立っている処を認識することを言います。
「二元論」においては、生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄の二元論の実態は死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄にあることの認識であります。
「全体と部分の相対性の法則」においては、地球と一体になって自転と公転をすることによって生じた肉体・意識・五感・「想い」が自己であることの認識であります。
「在り方と考え方」においては、静止が「在り方」であり、運動が「考え方」であることの同時認識であります。
運動の光と音(喧騒)の宇宙では、「二元論」、「全体と部分の相対性の法則」、「在り方と考え方」の三つの法則が厳然と働いていて、この三つの法則には共通する面と独立する面の二面性があり、この二面性がそれぞれ細分化されていくことで宇宙が進化してきたわけで、共通する面の細分化された結果が、『今、ここ』の『今』であり、独立する面の細分化された結果が、『今、ここ』の『ここ』であるのです。
静止世界は均質化つまり結晶化された世界ですから実にわかり易いのに対して、運動世界が混沌の世界で実にわかり難いのは、三つの法則の共通する面と独立する面の二面性を持っているからであり、二面性こそが、『今、ここ』であります。
「二元論」の死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄。
「全体と部分の相対性の法則」の全体観。
「在り方と考え方」の「在り方」。
がニュートラル性を有した共通する面つまり、『今』の表象であります。
「二元論」の生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄。
「全体と部分の相対性の法則」の部分観。
「在り方と考え方」の「考え方」
が独立する面つまり、『ここ』の表象であります。
わたしたちは否応なしに、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄の全体観の「在り方」である『今、ここ』の『今』にいるのですが、生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄の部分観の「考え方」である『今、ここ』の『ここ』にいると勘違いしているから、昨日(過去)・今日(現在)・明日(未来)に執われるのです。
悟っているのに、悟っていることに気づいていないのです。
昨日(過去)・今日(現在)・明日(未来)に執われるわたしたち人間ですから、『今、ここ』を強調してきましたが、昨日(過去)・今日(現在)・明日(未来)に執われることがなくなれば、『今、ここ』の『今』一点に絞ることが次のステップです。
昨日(過去)・今日(現在)・明日(未来)に執われると、『ここ』は映像の世界になっているのに、『今、ここ』の『今』に立つと、『ここ』は実在の世界になっていることがわかるのです。
五感で感知する世界を映像だと認識することができるかどうか。
わたしたち人間の課題である四苦八苦を解決する鍵は、五感が握っていると言っても過言ではありません。