Chapter 667 「考え方」は(居)眠り状態

五感とは肉体の部分です。
眠っているとか醒めているとかいう問題は五感の問題であって、肉体の問題ではありません。
医者が患者に、「よく眠っていますか?」と訊きます。
医者は人間の身体のメカニズムをわかっていないのです。
眠っているのは肉体の部分である五感だけで、肉体という全体は決して眠っていないのです。
五感が調子悪いのなら睡眠に関係あるが、五感以外の肉体は生れてから死ぬまで眠らないのですから、睡眠問題ではないことぐらいわかってもいい筈です。
更によくよく脳味噌に汗を掻かせてみるとわかることですが、五感や第六感の「想い」が眠っているのを以って睡眠とするなら、夢を観ている状態というのは睡眠だとは言えないことは以前にも何度もお話しました。
睡眠の一つの形態であるREM睡眠つまり夢を観ているということは、五感も第六感の「想い」も全部働いているから夢を観て一喜一憂するわけであります。
五感の運動形態である第六感の「想い」の方が五感よりもよく働いている結果、夢を観る。
「想い」の静止形態である五感の方が第六感の「想い」よりもよく働いている結果、(目が)醒めているだけのことであります。
従って、夢を観ている状態は眠っているのではなくて醒めていると言った方が適切であります。
睡眠のもう一つの形態であるNon-REM睡眠つまり熟睡においても、五感すべてが眠っているわけではなく、視覚動物であるわたしたち人間の場合においては、五感の運動形態である第六感の「想い」と視覚だけが眠っている場合が殆どで、聴覚・嗅覚・味覚・触覚まで眠っているという完全熟睡は記憶量が極めて少ない子供時代だけであり、大人になると殆どありません。
目覚まし時計で目が醒めるということは、視覚が眠っているから目覚まし時計と言うのであって、聴覚は醒めているから耳覚まし時計とは言わないのです。
結局の処、わたしたちは眠っていると思っていても、眠っているつまり熟睡しているのは五感の一部の視覚と第六感の「想い」だけで、それ以外の五感は心臓や胃と同じように死ぬまで眠らないのです。
従って、五感というけれど実は一感だけであり、それ以外は全体観である肉体のカテゴリーに入っていると言った方が適切であり、五感も自分であると認識すべきであるのに、人間だけが五感を自分だと思っていないと申しました所以であります。
一感である視覚つまり目によって見ることが、外界つまり他者と繋がる橋であることがわかってきます。
わたしたち人間は視覚動物ですから、外界つまり他者との橋渡し役が目になっているだけで、嗅覚動物である犬は、外界つまり他者との橋渡し役は鼻になっていると言っても過言でありません。
見たり、聞いたり、匂ったり、味わったり、肌で感じたりすることはすべて実在するものつまり実像ではなくて、虚像(映像)に過ぎない所以であります。
見ることこそが四苦八苦の原因であるのです。
見ることとは眼球を動かすことであり、眼球を動かすことによって、わたしたち視覚動物は考えているのです。
見ることを停止した唯一の時間が熟睡であり、その時は「想い」も停止しているのであります。
夢を観ている時は目を動かしています。
だからREM(Rapid Eye Movement)睡眠と言っているのです。
夢とは思考している睡眠と言うわけであります。
「在り方」が覚醒であり、「考え方」は(居)眠った状態であり、わたしたち人間は寝ても起きても(居)眠っているのです。