Chapter 668 見る=悩む

五感は肉体の部分であり、肉体の運動形態つまり生れてから死ぬまでの間の生きることによって意識が生じるのに対し、五感の運動形態によって生じるのが第六感の「想い」です。
肉体や意識は地球における自転運動を司るのに対し、五感や「想い」は地球における公転運動を司るのです。
地球という星が肉体であり、星という肉体が自転することによって地球の意識が生じた。
地球という星の肉体の表面が五感であり、太陽の周りを公転することによって地球の表面である五感が変化(運動)することで「想い」が生じた。
自転によって朝・昼・夜の変化が起こり、公転によって春・夏・秋・冬の変化が起こるのは、地球の意識と「想い」の変化であるわけです。
心臓が一切眠ることなく運動し続けているように、宇宙に存在するすべての物質の基本要件である肉体は一切眠ることなく自転と公転をしていて、自分独りの世界観つまり全体観を顕現しているのが意識という自転運動であるのに対し、自分を生んでくれた親つまり地球にとっては太陽、わたしたち人間にとっては地球に対する五感という部分観を顕現しているのが「想い」という公転であるわけです。
意識というのは自己独自の世界観つまり全体観であり、「想い」というのは親の分身としての部分観であり、わたしたち人間にとっての親とは地球つまり他者すべてでありますから、「想い」とは他者に対するものであります。
わたしたち人間は視覚中心の生き物ですから、他者に対する認識を先ず見ることによってします。
つまり見ることによって単一の「想い」が生じます。
単一の「想い」は最初の一瞥による感情(第一印象)というものなのですが、見る眼球が動くことによってどんどん一瞥の感情静止画面が蓄積され、蓄積された静止画面がパラパラめくられることによって、恰も動画画面のように思えてくるのが連想つまり思考であるのです。
考えるということは実態のない動画画面であり、実態があるのは一枚の感情静止画面であるのです。
外の景色を見ることで先ず感情が起こり、とりとめのない複数の感情が恰も関連しているかのように錯覚するのが考えつまり思考に外ならないわけであり、わたしたちが思い悩み、四苦八苦するすべての原因は思考にあり、思考の原因は眼球を動かすことにあると言っても過言ではありません。
目で見たものは先ず感じるのであって、考えるのではないのです。
他の生き物は感情がすぐ心になるのに対し、視覚動物であるわたしたち人間は感情が思考になるから悩むのです。
視覚情報は光速度で眼の網膜にインプット・アウトプットされ、そこから視神経を通ってそのまま光速度で脳から肉体全体に伝達され、それぞれ独立した感情に時差が感じられない結果連想つまり思考になり悩みが生じるのであります。
一方、聴覚情報は音速度で耳の鼓膜にインプット・アウトプットされ、そこからは光速度で脳から肉体全体に伝達されるから、それぞれ独立した感情に時差が感じられる結果連想つまり思考にならず心のままで止まっているから悩みが生じないのです。
嗅覚情報も味覚情報も触覚情報も聴覚情報と同じで、過去情報として認識し易いから、連想にまで発展しないのです。
視覚情報が光速度である結果、過去情報としての認識が難しいから、連想にまで発展するのです。
外敵から身を守ることに腐心しなければならなかった弱き人類ゆえ、見る生き物になり、延いては二本足動物になり、大脳の発達で知性を得ることができた反面、見る生き物ゆえ感情という単一の「想い」を連想つまり思考にまで発展させた結果、思い悩み・四苦八苦する唯一の生き物になったのです。
見ること(一瞥)によって感情は生れるが悩みは生れません。
悩みが生れるのは眼球を動かすからです。
悩みが生じたら目を瞑るのではなくて、眼球を動かさないことです。